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将棋所(しょうぎどころ)は、江戸時代の将棋の家元(名人を世襲し、大橋家・大橋分家・伊藤家が襲位していた)が名乗っていた称号。名人家は寺社奉行の管轄下にあった。かつては将棋所という公式な役職が存在したと考えられていたが、近年の研究では公職ではなく家元の自称にすぎなかったとされている。 == 沿革 == 徳川家康は囲碁と将棋を愛好し、囲碁・将棋の上手に俸禄を支給した。はじめは碁将棋所として本因坊算砂がつとめていたとされるが、慶長17年(1612年)に将棋所が碁所から独立し、初代大橋宗桂が最初の将棋所となった〔これは明治期に刊行された安藤如意『坐隠談叢』の記述だが、この時期には「碁所」「将棋所」という言葉そのものがなく、信じがたいとの意見がある。(増川宏一『碁』及び福井正明著『囲碁古名人全集』の巻末評伝(秋山賢司))〕。日本将棋連盟ではこの年を宗桂の名人襲位の年としている。 将棋所は江戸幕府の崩壊まで続き、将棋所には幕府から俸禄が支給された。そのかわりに、将棋所は門下のものから将棋の上手を出し、将軍の御前で将棋を指すようになった(御城将棋)。 明治維新後は、幕府や新政府から俸禄が支給されることもなくなり、幕府の支えを失った将棋所も消滅することになった。名人の世襲もなくなり、明治時代には推薦制、昭和に入って実力名人制に移行していった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「将棋所」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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