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公益社団法人日本将棋連盟(にほんしょうぎれんめい)は、将棋の棋士活動を運営する公益社団法人である。四段以上の棋士、女流棋士および指導棋士によって組織される。ただし、全国各地に存在する日本将棋連盟支部は、連盟に認められた一般の将棋愛好家によって組織される。 通常、棋士総会で2年ごとに選出された役員、及び職員によって運営される。 目的として「将棋道の普及・発展を図り、併せて国際親善の一翼を担い、人類文化の向上に寄与すること」を謳っている。 == 沿革 == * 1924年9月8日 - 東京で専門棋士を擁していた東京将棋倶楽部(関根金次郎派)・将棋同盟社(土居市太郎派)・東京将棋研究会(大崎熊雄派)の三派が合同して東京将棋連盟を結成。名誉会長に関根、会長に土居が就任。 * 1927年 - 関西の棋正会(木見金治郎派)も合流して日本将棋連盟となる。 * 1935年 - 第1期名人戦が開始するも、神田辰之助七段の参加権を巡った内部対立が起こり、花田長太郎・金子金五郎両名が除名され、後を追って退会した棋士たちと革新協会を設立する(''神田事件'' )。騒動の責任を取って幹部は総辞任し、会長不在となる。。 * 1936年 - 将棋連盟と革新協会の2団体を統一し、将棋大成会となる。神田も名人戦に参加。 * 1937年 - 第1期名人戦が終了。木村義雄が実力制の最初の名人の座に就く。 * 1947年 - 名称を日本将棋連盟として、会長に木村義雄が就任。 * 1949年7月29日 - 社団法人となる。 * 1975年 - 女流棋士の初の棋戦・第1期女流名人位戦が行われ、蛸島彰子が初代女流名人となる。 * 1987年 - 第1期竜王戦が始まる。 * 1989年 - 下部組織として女流棋士会が発足。 * 2005年 - 将棋界で俗に言われる「盤寿」にあたる創立81周年を迎え、記念のイベントなどを開催。 * 2007年 - 女流棋士の一部が「日本女子プロ将棋協会(LPSA)」として分離・独立。 * 2008年5月 - 「将棋世界」誌6月号において、米長会長が、「公益法人制度改革」〔2008年12月から5年間の移行期間を経て、すべての社団法人が「公益社団法人」か「一般社団法人」のいずれかに分かれることになる。〕に伴い、「公益社団法人」の許可を目指すため、改革の必要があることを表明。 * 2009年3月30日 - 刊行物の制作・販売を同4月から毎日コミュニケーションズに委託すると発表。ただし、「将棋世界」誌と「将棋年鑑」は従来どおり将棋連盟が編集・発行を行い、販売のみ毎日コミュニケーションズにて行う〔日本将棋連盟の刊行物を制作・販売 〕。 * 2009年4月1日 - 女流棋士も含む新たな「棋士会」が発足。初代会長は谷川浩司。女流棋士会は存続(ただし、女流棋士会独自の役員制度は廃止)。 * 2010年8月 - 奨励会入会試験に、中華人民共和国上海在住の中国人ツァンシンが6級に合格。外国在住者が初合格となる。 * 2010年11月12日 - 臨時総会にて、女流四段以上およびタイトル経験のある女流棋士を正会員とすることを決議〔臨時総会について(日本将棋連盟)11月12日閲覧 〕。 * 2011年3月4日 - 公益認定等委員会が、日本将棋連盟の公益社団法人への移行認定を答申〔公益法人information 〕。 * 2011年4月1日 - 公益社団法人となる〔公益社団法人日本将棋連盟としてスタート(日本将棋連盟)2011年4月1日 〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「日本将棋連盟」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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