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小ノヶ崎 仙吉(おのがさき せんきち、1842年〈天保13年〉 - 1877年〈明治10年〉4月24日)は、境川部屋に所属した元力士。 本名は山田 仙吉(安吉とする資料もある)。尾張国中島郡(現在の愛知県一宮市)〔http://sumodb.sumogames.de/Rikishi.aspx?r=3449&l=j〕出身。身長・体重は不明。 最高位は東前頭5枚目。 故郷の尾張藩では良く働く親孝行者だったが、突然として江戸へ行って入門した。1867年11月場所で初土俵(序ノ口)を踏んだ。1873年12月場所で、尾張藩のお抱え力士となり〔尾張藩お抱え力士「小ノヶ嵜千吉」化粧廻し姿 三河國の大相撲錦絵場所、2006年6月5日記事。〕、東十両7枚目(十枚目格)に昇進。十両では5割強の勝率だったが、番付運に恵まれ順調に昇進を重ねた。1876年4月場所で、新入幕を果たした。國見山半五郎,甲喜三郎と共に「尾張三人衆」との呼び名が高く〔、将来を大いに期待されたが、翌1877年1月場所後の4月24日に36歳(満34歳〔)の若さで急逝。6月場所の番付には、既に死去していたにも関わらず、番付表に前頭5枚目で記載された〔明治10年夏場所(大相撲星取り表のHP) 〕(同様のケースは、1990年1月場所後に急死した龍興山一人の例がある。奇しくも小ノヶ崎とは全く同じの東前頭5枚目だった)。 幕内通算 3場所 7勝8敗2分13休(ただし、その内の10休は死後の場所に番付表として記載されたのみのカウントである。)の成績を残した〔。 改名歴なし〔。 幕末から明治初期に活躍した浮世絵師・2代蜂須賀国明によって描かれた、化粧廻し姿〔や着物姿〔尾張藩お抱え力士「尾州 小ノヶ嵜千吉」着物姿 三河國の大相撲錦絵場所、2006年6月6日記事。〕での浮世絵が現存している。浮世絵の中には、同じ大相撲力士の盤石力勝の版木をすり替えて描かれた物もある〔参考 「津 磐石力勝」 着物姿 三河國の大相撲錦絵場所、2006年6月9日記事。〕。 == 出典 == 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「小ノヶ崎仙吉」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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