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小久保喜七 : ミニ英和和英辞書
小久保喜七[こくぼ きしち]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ほ]
  1. (n,vs) guarantee 
: [しち]
  1. (num) seven 

小久保喜七 : ウィキペディア日本語版
小久保喜七[こくぼ きしち]

小久保 喜七(こくぼ きしち、慶応元年3月22日1865年4月17日) - 昭和14年(1939年12月14日〔『官報』第3887号、昭和14年12月19日。〕)は、日本の衆議院議員立憲政友会)・貴族院勅選議員城南
==経歴==
常陸国猿島郡新郷村(現在の茨城県古河市)出身。栃木県佐野町で漢学を学んだ〔『日本ダイレクトリー』p.122〕。明治13年(1880年)より自由民権運動に投じ、翌年春に有終会という政社を結成し、さらに自由党結成大会に出席した〔。明治17年(1884年)には加波山事件、明治18年(1885年)には大阪事件、明治22年(1989年)には大隈重信暗殺未遂事件に関与したとして逮捕されたが、いずれも不起訴または無罪となった。
明治23年(1890年)、立憲自由党が成立すると幹事に就任した。明治25年(1892年)、茨城県会議員に当選し、副議長に推された。後に自由党を離党し、大井憲太郎神鞭知常佐々友房らとともに内地雑居に反対した〔。明治28年(1895年)、議長選挙に敗れて、県会議員を辞職〔。明治31年(1898年)、台湾で台湾通信社を創設した〔。その後内地に戻り、明治34年(1901年)に立憲政友会に入党した。
明治41年(1908年)の第10回衆議院議員総選挙に出馬し、当選。以後、6期にわたって務めた。その間、政友会系の自由通信社の社長になり、原内閣では逓信参事官を務めた。
昭和3年(1928年)10月、貴族院議員に勅任され〔『官報』第546号、昭和3年10月19日。〕、死去するまで在職した。また大東文化協会の顧問も務めた〔『時の人』〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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