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小倉 武之助(おぐら たけのすけ、明治3年8月12日(1870年9月7日) - 昭和39年(1964年)12月26日)は、明治時代から昭和時代初期にかけて朝鮮で活動した実業家、美術品収集家。 == 経歴 == 千葉県成田市出身。東京帝国大学卒業後、日本郵船に入社。のち京釜鉄道に入社し、1904年朝鮮に渡った。給料を元手に土地を買い、地価上昇で巨利を得て、大邱の資産家として電気事業に進出する準備を始めた。1905年2月京釜鉄道を退社。 1909年、地元資産家と共同で電気事業を出願し、朝鮮総督府より許可を得て大邱市電気会社を設立、株式の過半を出資していたため社長に就任した。同社は1913年1月1日に従業員12人・需要戸数322戸で開業したが、小倉は1918年に会寧電気を設立し、同年咸興電気を合併、1920年には光州電気を合併と事業規模を拡大し、1937年には16の発電所と2016kmの送電線を有するまでに発展させた〔千葉県日本韓国・朝鮮関係史研究会編著『千葉のなかの朝鮮―歩いて知る朝鮮と日本の歴史』明石書店、2001年10月1日、ISBN 9784750314792 pp.137-143〕。 また、1922年ないし1923年頃より朝鮮の古美術品の収集を始めた。1935年には同年発足した南鮮合同電気の社長に就任、のち朝鮮電力社長、大邱商工銀行頭取を歴任した〔小倉武之助 おぐら-たけのすけ デジタル版 日本人名大辞典+Plus〕。 太平洋戦争終結に伴う日本の朝鮮統治終了後の1945年10月に、日本に引き揚げた。このとき所蔵品の一部を持ち帰り、約4000点が大邱に残されたままとなったと推測されている。1956年に習志野開拓地から習志野市実籾に転居。同地に財団法人小倉コレクション保存会を設立し会長に就任、収蔵庫を設け、94歳で死去するまで悠々自適の生活を送った〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「小倉武之助」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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