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小倉 公雄(おぐら きんお)は鎌倉時代中期から後期の公卿。正二位権中納言。小倉と号する。小倉家の始祖とみなされている。 従一位左大臣洞院実雄の二男。母は従二位左兵衛督藤原頼氏の娘。妻は姉小路実世の娘、九条良平の娘など。子には実教、證季、実覚、従一位季子(洞院実泰の室、洞院公賢の母)、女子(惟雲親王の母)、女子(権中納言冬良の室)。 == 経歴 == 以下、『公卿補任』、『尊卑分脈』の内容に従って記述する。 宝治3年(1248年)2月8日叙爵。建長2年(1250年)5月20日、侍従に任ぜられる。建長3年(1251年)4月3日、従五位上に昇叙。建長4年(1252年)1月5日、正五位下に昇叙〔大宮院御給。〕。同年12月4日、右少将に任ぜられる。建長5年(1253年)1月13日、遠江権介を兼ねる。建長6年(1254年)1月6日、従四位下に昇叙。同月7日、叙留。建長7年(1255年)4月12日、右中将に転任。建長8年(1256年)1月6日、従四位上に昇叙。同年7月2日、左中将に転任。同年11月22日、中宮権亮を兼ねる。康元2年(1257年)1月22日、美濃権介を兼ねる。正嘉2年(1258年)2月26日、禁色を許される。同年5月14日、正四位下に昇叙。正元元年(1259年)12月19日、中宮権亮を兼ねる。 弘長元年(1261年)5月25日、従三位に叙される。同日、左中将は元の如し。弘長2年(1262年)1月19日、尾張権守を兼ねる。同年3月29日、正三位に昇叙〔朝観行幸太政大臣大宮院御給。〕。同年10月13日、皇后宮権大夫を兼ねる。文永元年(1264年)12月24日、皇后宮権大夫を止める。 文永3年(1266年)10月24日、参議に任ぜられる。左中将は元の如し。同年11月2日、左兵衛督を兼ね検非違使別当に補される。文永4年(1267年)2月1日、備前権守を兼ねる。同月23日、権中納言に任ぜられる。同月27日、左兵衛督に改めて任ぜられ検非違使別当も元の如し。同年6月21日、左兵衛督と検非違使別当を辞す。文永5年(1268年)2月20日、従二位に昇叙。文永6年(1269年)6月7日、帯剣を許される。文永7年(1270年)1月5日、正二位に昇叙。文永9年(1272年)2月22日、出家〔後嵯峨院崩御による。〕。法名は顕覚。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「小倉公雄」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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