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小倉 実教(おぐら さねのり)は鎌倉時代中期から南北朝時代の公卿。正二位権大納言、民部卿、兵部卿。富小路と号す。権中納言小倉公雄の長男。母は姉小路実世の娘。 子には季孝、季雄、公脩、公煕、女子(従三位教子)、女子(洞院公賢室)、女子(園基成室)、女子がいる。 == 経歴 == 以下、『公卿補任』、『尊卑分脈』の内容に従って記述する。 文永3年(1266年)1月5日、叙爵〔従一位平棟子の給。〕。文永6年(1269年)6月5日、従五位上に昇叙〔皇后宮御給。〕。文永8年(1271年)1月7日、正五位下に昇叙。同年10月13日、侍従に任ぜられる。文永11年(1274年)11月17日、近江権介を兼ね18日には従四位下に昇叙。同月20日、侍従は元の如し。建治4年(1278年)2月8日、讃岐権介を兼ねる。弘安3年(1280年)1月5日、従四位上に昇叙。弘安6年(1283年)4月5日、正四位下に昇叙。弘安8年(1285年)3月6日、左少将に任ぜられる。弘安10年(1287年)1月13日、遠江権介を兼ねる。同年9月21日、左中将に転任。 正応元年(1288年)11月21日、従三位に叙される。正応2年(1289年)1月13日、左中将に任ぜられる。正応3年(1290年)11月22日、正三位に昇叙。正応4年(1291年)3月25日、遠江権守を兼ねる。正応5年(1292年)12月30日、参議に任ぜられる。永仁元年(1293年)2月18日、権中納言に昇進。同年11月14日、帯剣を許される。永仁2年(1294年)1月6日、従二位に昇叙。永仁3年(1295年)1月5日、正二位に昇叙。永仁5年(1297年)10月16日、中納言に転正。正安元年(1299年)4月26日、権大納言に昇進。同年6月6日、権大納言を辞退。正和2年(1312年)12月8日、本座を許される。 元応元年(1319年)3月9日、民部卿に任ぜられる。元応2年(1320年)9月5日、民部卿を辞した。嘉暦元年(1326年)3月8日、兵部卿に任ぜられる〔同月、皇太子邦良親王が崩御する。〕。同年11月4日、兵部卿を止められる。 貞和4年/正平3年(1348年)2月23日、出家。法名は空覚。後日、阿覚に改めた。貞和5年/正平4年(1349年)9月7日、薨去。享年86。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「小倉実教」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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