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小倉 松寿(おぐら まつじゅ、永禄10年(1567年)? - 天正10年6月2日(1582年6月21日))は、戦国時代の武将。松千代。小倉実房とお鍋の方(後の織田信長側室興雲院)の間の子。甚五郎の弟。信長の子の内、織田信高、織田信吉は異父弟にあたる。 == 生涯 == 鎌倉時代より近江国に本領を持っていた国人、小倉氏の出。父実房は小倉氏庶流である小倉東家の当主で高野城主であったが、永禄13年(1570年)に金ヶ崎の戦いで織田信長に協力して、千種越えによる織田軍の岐阜城帰還を援助した事が六角承禎の怒りを買い、六角軍によって攻められ実房は死亡。母お鍋の方共々落ち延びて、織田信長の庇護を仰いだ。 のち、母お鍋の方は信長の側室として娶られ、お鍋の方の連れ子である甚五郎・松寿兄弟もそれぞれ織田家の家臣に加えられ、近江に信長より所領が与えられた。 天正10年(1582年)6月2日の本能寺の変時、松寿は京都に宿を取っていたが変報を聞いて湯浅直宗らと共に急ぎ本能寺に馳せ参じ、信長を守って明智光秀の軍と戦ったが、衆寡敵せず討死した。『小倉婦人記事』によれば享年は16であったという。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「小倉松寿」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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