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小原 光城(おばら みつしろ、1976年8月16日 - )は、神奈川県出身の元サッカー選手。 ポジションは、DF。 == 選手時代 == 大学時代はFWとして東京都大学サッカーリーグで活躍。東京都選抜チームに選出後、タイ遠征時にメンバー構成の都合でサイドバックで出場したところ、守備的ポジションながら得点王に。 大学卒業後、2000年に水戸ホーリーホックに入団。ルーキーながら8試合に出場し、Jリーグ昇格に貢献。 しかし、入団初年度限りで退団し、まだ地域リーグに所属していた愛媛FCへ完全移籍で加入する。加入初年度の2001年より不動のサイドバックとして君臨し、四国リーグ優勝に貢献する。翌2002年のJFLに昇格後も常に愛媛の中心選手として活躍、2006年末に現役引退するまでにJFL通算115試合出場を記録する。 プレースタイルは、タイミングの良いオーバーラップと1対1に強い守備を身上とする。所属チームの事情で、体格的には合わないセンターバックも経験しているところから、クレバーな一面も持ち合わせる。 人物・人柄については、練習に対し常に真摯に取り組み、身体のケアなどプロとして強烈なプライドを示していた。その為、監督・スタッフ・選手からの信頼が厚く、当時愛媛の支柱であった大西貴のあとを継ぎ、2002年、2003年にゲームキャプテンを務めた。その後、2004年シーズンからは主将を務めるなど、常に中心選手としてチームを引っ張った。ファンからつけられたあだ名は『闘将』。真面目な人柄ゆえ、友人・ファンが多く、彼が退団する際は泣いて引き止めに来たファンもいた。 また、彼が所属したチームは必ず上位リーグに昇格していることから、一部のファンからは『昇格請負人』とも呼ばれている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「小原光城」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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