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小原 宏貴(おはら ひろき、1988年3月26日-)は、いけばな小原流の五世家元。神戸市出身。 ==略歴== 1995年(平成7年)、6歳にして五世家元を継承。幼き日の家元は周囲から頭を下げられたり、写真に撮られるような場所には行きたがらなかったが、花展の見学には、喜んで母に同行していた。〔[感彩人](319)小原流理事長・小原規容子さん 幼い家元支える(連載)1996.10.24 大阪夕刊 1頁 読売新聞 〕甲南大学卒業までは、家元としての活動は学業優先で限定的(神社仏閣での献花式や流内行事)だった(2010年までは、三世家元長女小原稚子が家元代行を務め補佐した)。10歳で初めて展覧会に出品する。〔いけばなという文化でつながる「小原流 小原宏貴」 ReVALUE NIPPON〕高校卒業時のインタビューでは、これまでに正式に小原流のいけばなを学んだことはなく、好きな小説を読んだり、建築物や家具などのデザインを眺めたり、友人とフットサルを楽しんだりしながら、自身の感性を磨くことに努めたと言う。また、周囲からは「家元とは習うものでなく、見て覚えるものだ」と教わった。家元としての自覚を持ち始めたのは、父・四世家元の十三回忌がきっかけとのことで、この時初めて父の偉大さを実感し、無意識に遠ざけてきたいけばなに関する本にも触れるようになった。一方で、花舞(はなまい・四世が考案したスタイル)が未完成であることも知ったため、これを引き継ぎ、完成させるのは自分だ、という責任感が芽生えたという。〔小原豊雲、生誕100年 いけばな小原流展 盛花-いま・そして=特集 読売新聞 2006.03.15 東京夕刊 5頁 〕大学2年生の頃になり意識して生け花の技術取得を始めた。〔ALL ABOUT 小原宏貴 若き家元 日々精進2010.06.23 東京夕刊 8頁 読売新聞〕大学卒業を機に活動を本格化し、2012年の個展開催に至り、6日で45000人を動員する。〔いけばなという文化でつながる「小原流 小原宏貴」 ReVALUE NIPPON〕2009年、2012年には現代アートの祭典「大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ」へ出品し、生花にこだわらない作品に挑戦した〔大地の芸術祭 アーティストプロフィール - 大地の芸術祭の里〕。2013年からは、ニューヨークを中心に講演会・デモンストレーションを実施し(ジャパン・ソサエティ〔小原流家元、NYで生け花実演会 - 時事ドットコム(2014年3月5日)〕、陸軍士官学校〔軍士官学校で「和の心」伝授 - 時事ドットコム(2014年9月6日)〕ほか)、海外でのいけばな普及活動も継続的に行っている。 現在、小原流研究院院長、公益財団法人日本いけばな芸術協会常任理事、兵庫県いけばな協会理事、大正大学客員教授。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「小原宏貴」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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