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小國以載 : ウィキペディア日本語版
小國以載[おぐに ゆきのり]

小國 以載(おぐに ゆきのり、男性、1988年5月19日 - )は、日本プロボクサー兵庫県赤穂市出身。
第40代OPBF東洋太平洋スーパーバンタム級王者。第38代日本スーパーバンタム級王者。神戸市長田区のVADYボクシングジム1期生。
同ジムは2010年度年間最高勝率賞を受賞している。父親がつけた愛称は「赤穂の流星」〔。
2013年5月23日より角海老宝石ボクシングジム所属。
== 来歴 ==
中学時代はバスケットボール部に所属。3年時に部活を引退した後、「はじめの一歩」を読んだのがきっかけで〔アマチュアの赤穂ボクシングジムに通い、そこで高校時代まで中間国彰の指導を受けた。神戸第一高等学校3年時にインターハイバンタム級3位となる。卒業後は芦屋大学に進学し、1・2年時に全日本選手権で3位となった〔。
井岡一翔宮崎亮とは同い年で、近畿大会でしばしば顔を合わせ、アマチュア時代は宮崎に2勝1敗、高校時代の岩佐亮佑とは1度対戦して負けている。その後、アマチュア時代から師事する高嶋譲がVADYジムを開設したのを機にプロへの転向を決め、大学を中退〔。B級プロテスト合格。
2009年11月8日、プロデビューを3回KO勝利で飾る。プロ転向後はフィリピンの名門・ALAジムやメキシコイグナシオ・ベリスタインのもとへ修業に出かけ、メキシコではフェイントの技術を学んだ〔。4戦目ではノーランカーでありながら、WBCバンタム級9位のシュテファーヌ・ジャモエと対戦交渉をしたが、ジャモエが亀田和毅との対戦を優先させたため、実現には至らなかった〔。
デビュー6連勝後の2011年11月3日、神戸サンボーホールロリ・ガスカが持つOPBF東洋太平洋スーパーバンタム級王座に挑戦。この時、小國はOPBF同級15位であり、試合前には「冒険マッチ」とささやかれていた〔。当初、小國陣営は過去に50回以上スパーリングをし、その度に苦戦させられていた大橋弘政との対戦を希望していた。高嶋は「勝たれへんけど、ああいうタイプと一丁やっておいたら、ええ経験になる」と考えていたが、大橋がガスカに負け、200回以上ガスカの映像を見たという高嶋は、小國の勝利を確信した〔。小國は試合1か月前に肋軟骨骨折を負ってスパーリングができず、ワンツーのシャドーを繰り返した。高嶋は戦術的なプランの他に「もし倒されるんやったら胸を押さえて倒れろ。そうなったら俺が言い訳大会を開いたる。安心しろ」と指令していた。試合のリング上では前王者の大橋が挑戦状を読み上げ〔、試合では小國が5回に2度ダウンを奪い、3-0(119-109、116-111、115-111)の判定勝ちで王座を獲得した〔〔7戦目の小國が東洋奪取 ボクシングニュース「Box-on!」 2011年11月3日〕。
2012年3月18日、大橋弘政を相手に初防衛戦を敵地刈谷あいおいホールで行った。王座獲得以来、体幹を強化しており〔、高嶋は「ワケわからん相手より、負けるなら大橋さん」と考えていた〔。小國は「きっとさばききれない。逃げたらやられる」と考え〔、初回に右ストレートでダウンを奪うと試合を一方的に進めたが、7回に偶然のバッティングでカットした左目付近の傷が深くなったため9回に試合が停止され、負傷判定の結果、88-83が2者と88-84の3-0で初防衛に成功した。
2012年7月6日、赤穂ハーモニーホールで、日本スーパーバンタム級王座を返上した芹江匡晋の挑戦を受けた。この試合前にはスーパーフェザー級の世界ランカー・玉越強平らとスパーリングをした。小國は2回と5回にダウンを奪い、2回には芹江の反撃で腰が落ちかける場面もあったが、117-110、118-110、118-109の大差判定勝利で2度目の防衛に成功した。
2012年11月18日、神戸サンボーホールで元OPBF東洋太平洋スーパーバンタム級王者のロリ・ガスカと対戦し、2-1(116-112、116-114、113-114)の判定勝ちを収め1年ぶりの再戦を制しOPBF東洋太平洋スーパーバンタム級王座の3度目の防衛に成功した〔 小国、接近戦で苦戦もV3…東洋太平洋Sバンタム級戦 スポーツ報知 2012年11月19日〕。しかし、高嶋は試合後、小國がスランプにあると見て、「ボクシングが崩れているので、しばらく休ませる」と話した。
2013年3月10日、神戸サンボーホールでOPBF東洋太平洋スーパーバンタム級7位の和氣慎吾(古口)と対戦し、試合は序盤から挑戦者がペースを掴み2回にはダウンを奪われる波乱の展開で精彩を欠いたまま試合が進み8回までの途中採点(79-73、78-73、80-71)でもポイントを大きくリードされ逆転打を狙うが10回終了間際に連打を浴びせられ、この回のインターバルで小國陣営が棄権を申し出たため試合がストップ、敗れた小國はプロ初黒星を喫し無敗の王者を倒した和氣は番狂わせで王座奪取を成し遂げた〔リーゼント和気が小国を破り新王者 デイリースポーツ 2013年3月10日〕。 小國には当初から一度でも負けたら辞めるとの決意があり、試合後に引退を表明した。
2013年5月23日、角海老宝石ボクシングジムに移籍し現役を続行することを発表した。
2013年10月5日、後楽園ホールで日本スーパーバンタム級4位でOPBF東洋太平洋スーパーバンタム級10位の岩﨑悠輝(新開)とノンタイトル8回戦を行い、3-0(79-73、79-73、79-74)の判定勝ちを収め再起に成功した。
2014年1月11日、後楽園ホールで藤本悠起(三津山)とノンタイトル10回戦を行い、8回1分20秒TKO勝ちを収めた。
2014年7月28日、後楽園ホールでこの日デビューしたライアン・ソー・タナチョー(タイ)とノンタイトル10回戦を行い、4回2分26秒TKO勝ちを収めた〔岡田が初防衛成功、シャムガルとの激戦制す Boxing News(ボクシングニュース) 2014年7月28日〕。試合後にライアン・ソー・タナチョーは無気力試合をしたとして招聘禁止ボクサーとなった〔招へい禁止ボクサー 日本ボクシングコミッション(JBC) 2014年7月28日〕。
2014年12月6日、大竹秀典の王座返上に伴い日本スーパーバンタム級2位の石本康隆(帝拳)と日本スーパーバンタム級王座決定戦を行い、初回に小國がボディーブローを巧打し、2回に石本が右を決め、3回から両者の手数が増えてヒートアップすると4回に小國が左右のボディーブローを印象付け、5回に石本の右で小國の左目じりをカットするなど攻守が入れ替わる激戦となり5回終了時ではジャッジ2人が48-47で小國を支持し、ジャッジ1人が48-47で石本を支持し、僅差で小國が前半戦をリードして終えたが、後半戦になると石本がボディーブローやショートの連打で攻勢に出るものの、小國もしっかりと抗戦し中間距離や近距離での打撃戦という展開となった。両者とも最後まで自分がペースを掴めなくても相手にペースを作らせず、手数では石本に負けていたが有効打と巧打で小國が競り勝ち、3-0(96-94、96-94、96-95)の判定勝ちを収め王座を獲得した〔小國以載が石本康隆に小差判定勝ち、日本SB決定戦 Boxing News(ボクシングニュース) 2014年12月6日〕。 この試合に勝利したことが評価され、小國は東日本ボクシング協会の2014年12月度の月間敢闘賞に選出された〔12月の月間MVPは加藤善孝、敢闘賞に小國以載 Boxing News(ボクシングニュース) 2015年1月9日〕。
2015年4月30日、後楽園ホールで日本スーパーバンタム級1位の古橋岳也(川崎新田)と対戦し、1-0(96-94、95-95、95-95)の判定で引き分けたが日本スーパーバンタム級王座の初防衛に成功した〔小國以載がドロー防衛、日本S・バンタム級戦 Boxing News(ボクシングニュース) 2015年4月30日〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「小國以載」の詳細全文を読む




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