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ヒロミ(1965年2月13日 - )は、日本のお笑いタレント、司会者、ラジオパーソナリティ、実業家、トライアスロン競技者(トライアスリート)。株式会社ビィーカンパニー代表取締役社長。本名、小園 浩己(こぞの ひろみ)。 東京都八王子市出身。プロダクション人力舎を経てビィーカンパニーに所属(マネジメント業務は田辺エージェンシーが担当した後、2008年からはプロダクションノータイトル)。妻は歌手でタレントの松本伊代。長男はタレントの小園凌央(こぞの りょう)。 == 来歴 == 芸能界に入る前は日産自動車の販売会社で1年程セールスマンを経験しており、しゃべりを駆使して営業成績はトップクラスであったという。その頃に自動車の事故で大怪我(内臓破裂)。一時重体になり、生死の境をさまよう。この時医者から家族にも「諦めて下さい」と伝えられたが、長時間の手術の末一命を取り留める。このことから「好きなことをしよう」と、以前から思い馳せていた芸能界入りを心に決めたという。放送大学教養学部に進学する。 1986年、デビット伊東、ミスターちんとともにコントグループB21スペシャルを結成し、1990年にゴールデン・アロー賞芸能新人賞を受賞。師匠は星セント。1991年9月放送の『1or8』にて、大量のロケット花火を背負って宇宙へ行こうという企画「ヒロミ宇宙へ」に挑戦した際、僅かに浮き上がるも、火傷を負って入院。番組も打ち切りになってしまった。その際、「地球は青かった」というコメントを残す。1992年、マネージメント事務所「ビィーカンパニー」を設立。1993年、CBC『流行笑会』共演で知り合った松本伊代と結婚。なお、この披露宴での引き出物はまな板だった。 2004年7月24日から25日にかけてフジテレビで放送された『27時間テレビ』のコーナー「生・笑わず嫌い王決定戦」で、10数年ぶりにB21スペシャルとして復活。コントを披露した。2004年7月27日、師匠である星セントの葬儀に参列し、「セントさんに『この世界は厳しいからやめておけ』と言われました。今はその言葉が身に染みて分かります」と発言。 2005年、林家こぶ平が9代目林家正蔵を襲名した披露パーティの席で「こんな偉い人とは、知りませんでした。…殴ったり蹴ったりしてスミマセン」と、『タモリのスーパーボキャブラ天国』や『モグモグGOMBO』で(番組上の演出として番組内で)イジメてきたことを冗談交じりで謝罪した〔2005年3月17日 日刊スポーツ芸能面など各紙紙面より。〕。 2014年以降、テレビバラエティに本格復帰〔再ブレークのヒロミ 芸能界復帰の理由は「有吉と忍」 - スポーツニッポン 2014年5月8日〕。 2015年、第28回小学館・DIMEトレンド大賞「特別賞」を受賞。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ヒロミ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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