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小坂 巖(こさか いわお、1931年 - )は日本のアナウンサー、競馬ジャーナリスト。 == 経歴 == 長野県須坂市出身〔『優駿』2000年7月号、pp.52-54〕。1954年に日本短波放送にアナウンサーの第1期生として入社〔。1956年の中央競馬実況中継開始に伴い、実況アナウンサーを務めた〔。東京優駿(日本ダービー)では1年おきに実況を務めたほか、1964年の菊花賞ではシンザンによる中央競馬史上2頭目のクラシック三冠達成の瞬間を伝えた。このときは道中での様子から「シンザン、どうやらこれで、三冠馬ダメか」、「シンザン、どうやら三冠できそうにない」と実況してしまい、忘れられないと語っている〔。また、俗に「シンザンが消えた」という文句で知られる〔シンザンが最後の直線で外埒ぎりぎりを走ったことで、カメラ映像では数秒間、その姿が観客の陰に隠れて見えなくなったことを指す。このとき小坂はしばし絶句したのみで(『優駿』2000年7月号、pp.52-54)、小坂が「シンザンが消えた」と実況したわけではない。〕翌1965年有馬記念の実況も小坂が担当している〔。 1971年に日本短波放送を退社し、フリーアナウンサーとしてラジオ日本やABCラジオで活動〔。1975年からはテレビ東京の「土曜競馬中継」にキャスターとして携わり、1992年まで務めた〔。日本中央競馬会による衛星放送「グリーンチャンネル」開局後は、日曜午後の中継キャスターを務めた。フリーとなって以降は『競馬ニホン』や『ダービーニュース』等に取材記事を寄稿する競馬記者としての一面もあった〔。また1974年には、当時の競馬ブームの主役となっていたハイセイコーの引退を記念し製作された楽曲『さらばハイセイコー』の作詞を担当〔、45万枚を売り上げるヒット曲となった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「小坂巖」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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