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小坂 敏彦(こさか としひこ、1947年9月17日 - )は、香川県出身のプロ野球選手(投手)。 == 来歴・人物 == 高松商では、3年次にエースとして春夏連続甲子園に出場。第37回選抜大会では2回戦で米子東を完封。続くPL学園も2点に抑え快勝。準決勝で藤田平のいた市和歌山商に1-3で敗れたがベスト4入り。夏の第47回選手権大会は優勝候補にあがるものの、1回戦で三池工の上田卓三と投げ合い、延長13回の熱戦の末1-2xでサヨナラ負け〔〕。三池工はこの大会で初出場初優勝。 高校卒業後は早稲田大学に進学。東京六大学リーグでは在学中2度優勝。同期には谷沢健一、荒川尭、小田義人などが居り後に7人がプロ入りした。3年生になった秋季リーグで、早大は田淵幸一らのいた法大に競り勝ち、4シーズンぶり通算24回目の優勝を飾る〔〕。エースとして先発にリリーフに大車輪の活躍をした小坂は、優勝のかかった最終週の早慶戦で2試合を投げていずれも完投勝ちし「胴上げ投手」となりベストナインも獲得。の第8回アジア野球選手権大会日本代表に選出される。リーグ通算36試合登板、22勝6敗、防御率1.68、218奪三振。 1969年のドラフト1位で読売ジャイアンツに入団。1年目は1勝に終わったが、2年目からは2勝、4勝と勝ち星を増やした。4年目のシーズンに備える春季キャンプの1週間前に、高橋善正と交換トレードで、渡辺秀武と共に日拓ホームフライヤーズへ移籍した。だがこの頃すでに、肘に違和感を抱えており思い通りの投球ができずにいた。に4年ぶりの勝ち星を挙げたが、同年オフに引退〔〕。引退後は保険会社に勤務。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「小坂敏彦」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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