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小城錦康年 : ミニ英和和英辞書
小城錦康年[おぎにしき やすとし]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [しろ]
 【名詞】 1. castle 
: [にしき]
 【名詞】 1. brocade 
: [ねん, とし]
  1. (n-adv,n) year 2. age 

小城錦康年 : ウィキペディア日本語版
小城錦康年[おぎにしき やすとし]
小城錦 康年(おぎにしき やすとし、1971年7月8日 - )は、千葉県市川市出身で出羽海部屋所属の元大相撲力士。得意手は左四つ、寄り。最高位は東小結1997年7月場所)。現在は年寄中立。身長186cm、体重141kg、本名は小岩井 康年(こいわい やすとし)。父は元関脇小城ノ花正昭、兄は元前頭小城ノ花昭和、趣味はサッカー、スポーツ観戦、血液型はA型。
== 来歴 ==
1987年3月場所初土俵1991年11月場所新十両1993年5月場所新入幕、2004年1月場所限りで引退した。
新入幕を果たした1993年5月場所では9勝6敗と勝ち越したものの、翌7月場所は4勝11敗と大敗して十両に陥落。再入幕の11月場所(前頭16枚目)で11勝を挙げて敢闘賞を受賞。東前頭5枚目で迎えた1994年1月場所は7勝8敗と惜しくも負け越したが、続く3月場所で、優勝した横綱から金星を奪うなど9勝を挙げて技能賞を獲得、当時新鋭だった武双山魁皇とともに「若手三羽烏」と呼ばれ、3人で相撲雑誌の表紙を飾ったこともある。東前頭筆頭で迎えた5月場所は7勝8敗と惜しくも負け越して、三役昇進を逃す。以降は、故障がちで低迷を続ける。幕内下位では勝ち越すものの、横綱・大関との対戦がある上位では大負けする時期が長く続いた。
復調の兆しを見せたのが、東前頭4枚目で迎えた1996年11月場所である。6勝9敗と負け越しはしたものの、優勝した武蔵丸若乃花貴ノ浪の3大関に勝利した。幕尻(前頭15枚目)で迎えた1997年3月場所では、三賞こそ逃したものの11勝を挙げる。西前頭5枚目で迎えた5月場所にも11勝を挙げて技能賞を獲得し、完全復活を印象づけた。この頃から小城錦の左四つから一気に寄る相撲の取り口は「速攻相撲」と呼ばれるようになる。
同年7月場所では念願の小結昇進を果たすが、5月場所千秋楽土佐ノ海戦で負けた際に傷めた膝の故障の影響で、4勝11敗と大負けし、以降三役に復帰することはなかった。それでも上位ではたびたび善戦し、西前頭3枚目で迎えた1998年5月場所では横綱貴乃花(金星)、優勝した大関若乃花、大関貴ノ浪に勝利し、8勝7敗で殊勲賞を受賞している。
しかし、同年7月場所で右上腕三頭筋筋挫傷により途中休場すると、再度低迷するようになる。1999年7月場所でついに十両に陥落した(この十両陥落で出羽海部屋の幕内力士が100年以上振りに途絶えた)。十両では格の違いを見せ、2000年3月場所に幕内復帰を果たすが、今度は左上腕三頭筋断裂の不幸に見舞われ、2001年7月場所に十両陥落。以降は幕内と十両を行ったり来たりした。2002年5月場所に十両に陥落すると、以降幕内に復帰することはなかった。幕下陥落が決定的になった2004年1月場所限りで引退し、中立を襲名。
横綱・大関戦に善戦し、特に貴ノ浪に強かった(幕内対戦成績は6勝10敗であり、そのうち5勝については貴ノ浪は大関であった)。なお、貴ノ浪とは同期である。また、優勝力士に4度土をつけている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「小城錦康年」の詳細全文を読む




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