翻訳と辞書
Words near each other
・ 小堀政昌
・ 小堀政養
・ 小堀明男
・ 小堀杏奴
・ 小堀桂一郎
・ 小堀正之
・ 小堀正優
・ 小堀正博
・ 小堀正寿
・ 小堀正徳
小堀正次
・ 小堀正行
・ 小堀流踏水術
・ 小堀清一
・ 小堀甚二
・ 小堀由起子
・ 小堀紀久生
・ 小堀純
・ 小堀裕之
・ 小堀製作所


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

小堀正次 : ミニ英和和英辞書
小堀正次[こぼり まさつぐ]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ほり]
 【名詞】 1. moat 2. canal 
: [ただし, せい, しょう]
 【名詞】 1. (logical) true 2. regular 
: [つぎ]
  1. (n,adj-no) (1) next 2. following 3. subsequent 4. (2) stage 5. station 

小堀正次 : ウィキペディア日本語版
小堀正次[こぼり まさつぐ]

小堀 正次(こぼり まさつぐ)は、戦国時代から江戸時代前期にかけての武将大名備中松山藩初代藩主。小室藩小堀家初代。小堀遠州の父。
==略歴==
天文9年(1540年)、小堀正房の長男として近江国坂田郡小堀村(現在の滋賀県長浜市)に生まれ、出家したが還俗して磯野員昌の娘と結婚した。員昌が浅井家から離反したことにより再び出家するが、またもや還俗して羽柴秀長に仕えることになる。最初は1,000石の知領だったが、秀長・秀吉の元で政治手腕を買われて、主に紀伊国大和国検地代官を務め(紀伊や大和は寺社勢力が多く、検地が容易でない事からも、その手腕を買われていた事がわかる)、次第に加増して5,000石に達した。秀長の没後は秀吉に仕えて大和・和泉・紀伊の郡代に任ぜられている。
慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いでは東軍に属し、会津征伐に従軍。戦後、備中松山に1万4,000石を与えられ、備中における天領の管理も任された。また、備中や近江における幕府の検地などにおいても、大いに功績を挙げ、慶長6年(1601年)には、伏見城の作事奉行も務めている。
慶長9年(1604年)、江戸へ参勤に向かう途上、藤沢で急死した。跡を長男の政一が継いだ。





抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「小堀正次」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.