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小堀 誠(こぼり まこと、1885年(明治18年)3月6日 - 1957年(昭和32年)3月5日)は、日本の俳優〔''小堀誠''、KINENOTE、2015年10月29日閲覧〕〔日本人名大辞典「小堀誠」の項 2015年10月29日閲覧。〕〔20世紀日本人名事典、新撰 芸能人物事典 明治〜平成「小堀誠」の項 2016年1月11日閲覧。〕。東京府荏原郡品川町(現在の東京都品川区)出身〔〔〔〔。本名は堀江 鎌太郎〔〔〔〔。同じく俳優の小堀阿吉雄は長男〔〔。 == 来歴・人物 == 1908年、伊井蓉峰門下〔である新宿の新富座の『己が罪』で初舞台〔。1910年11月、井上正夫、桝本清らの新派俳優として本郷座〔同年同月、井上が有楽座と契約して新時代劇協会を結成、小堀も参加している。〕の舞台に立ち、後に幹部となる。1916年、深川座で小堀誠一座を結成〔〔〔し新派の一方の旗頭として浅草のみくに座を本拠とする。この間、吉澤商店や福宝堂、小松商会の新派劇映画に出演していたが、小松商会の連鎖的拡充に伴い同社と契約、一座を率いて多数の連鎖劇に出演する。しかし1917年7月、警視庁令により防災上の理由から連鎖劇は興行停止となる。 その後は舞台に専念し、1920年に河合武雄一座に加入〔〔〔。1921年、花柳章太郎らと新派俳優による新劇研究劇団・新劇座を結成〔〔〔し、脇役として出演。1923年には人間座に移り、1924年6月の小山内薫らの築地小劇場第一回公演に賛助出演〔〔〔。新劇では『白鳥の歌』のワシリー役が好評となり、滅多に賞めない劇作家正宗白鳥に賞められる。その後も新派の脇役として活躍し、戦時中から映画にも積極的に出演〔大正期に存在し、小堀が所属していた映画会社天然色活動写真株式会社から映画出演しており、日本映画データベースからも確認出来る。〕した。 しかし、1956年10月の東宝が製作した短篇映画『浮気旅行』を最後に糖尿病のため俳優を引退〔〔〔し、翌年3月5日に死去〔〔〔した。満71歳没。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「小堀誠」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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