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小塚 崇彦(こづか たかひこ、ラテン文字:Takahiko Kozuka, 1989年2月27日〔『フィギュアスケート選手名鑑 2006』新書館、2005年12月、p.37〕 - )は、愛知県名古屋市出身の日本の元フィギュアスケート選手(男子シングル)。 主な実績に、2010年バンクーバーオリンピック8位、2011年世界選手権2位、2008年GPファイナル2位、2010年全日本選手権優勝、2006年世界ジュニア選手権優勝など。 == 人物 == 中京大学附属中京高等学校卒業〔。2007年4月よりトヨタ自動車に所属しながら中京大学体育学部に社会人学生として進学〔。2011年4月より中京大学大学院体育学研究科体育学専攻博士前期課程に進学した。 祖父の小塚光彦(1916年 - 2011年)は旧満州のフィギュアスケートチャンピオン〔。帰国後は愛知県スケート連盟、オリオンFSCを創設し、山田満知子や門奈裕子らを育てた。父の小塚嗣彦は1968年グルノーブルオリンピック男子シングル日本代表。母の小塚幸子(旧姓・坂野)、叔母の坂野浩子もフィギュアスケート選手だった。そのため、『日本フィギュア界のサラブレッド』とも呼ばれる〔『Cutting Edge』p.43〕。現在、愛知県には光彦の名を冠した「小塚杯」が開催されている〔『Cutting Edge 日本男子フィギュアスケートオフィシャルファンブック』DAI-X出版、2005年12月、p.47〕。 佐藤家と小塚家の関係は古く、信夫の母は父・嗣彦の最初のコーチであり〔『フィギュアスケートに懸ける人々』p.83〕、信夫は嗣彦がオリンピックに出場した当時のコーチでもある〔。また、母・幸子がスケートを始めたのは、近所に住んでいた久美子にリンクへ連れられていったことがきっかけである〔『フィギュアスケートに懸ける人々』p.88〕。 無駄のない滑らかなスケーティングとエッジを深く使ったステップ、正確な技術を持ち味とする〔『Cutting Edge 2007』p.35, p.39〕〔『ワールド・フィギュアスケート 36』新書館、2009年2月、p.21〕。2008-2009のフリープログラム「ロミオとジュリエット」の衣装がシンプルなのは、足元のエッジ捌きが映えるように上半身を目立たなくさせようという振付師、佐藤有香のねらいによる〔『ワールド・フィギュアスケート 36』新書館、2009年2月、p.23〕。 荒川静香は小塚について、スケート以外のスポーツでも少しかじればすぐにできるようになるほど運動神経がいいと語っている〔荒川静香『フィギュアスケートを100倍楽しく見る方法』p.110〕。 競泳の入江陵介とは中京大学近くのゴルフ場で知り合い、親しくしている〔日本経済新聞コラム『小塚崇彦「世界選手権ではリンクで熱気を感じたい」』2011年1月3日掲載〕。同じ競泳の立石諒とは親友である。 2016年2月20日にフジテレビアナウンサーの大島由香里と結婚した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「小塚崇彦」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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