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五十鈴 桂子(いすず けいこ、1913年3月3日 - 没年不詳)は、日本の女優である〔盛内、p.38-39.〕〔''五十鈴桂子''、''jlogos.com'', エア、2013年2月25日閲覧。〕〔''五十鈴桂子''、日本映画データベース、2013年2月25日閲覧。〕〔''五十鈴桂子''、''小夜文子''、日本映画情報システム、文化庁、2013年2月25日閲覧。〕〔''五十鈴桂子''、日活データベース、2013年2月25日閲覧。〕〔''五十鈴桂子''、東京国立近代美術館フィルムセンター、2013年2月25日閲覧。〕。出生名上田 あき子(うえだ あきこ)〔、小川國松との婚姻時本名小川 あき子(おがわ あきこ)〔映画世界社, p.47.〕、旧芸名五月 秋子(さつき あきこ)、小夜 文子(さよ ふみこ)〔〔。 == 人物・来歴 == 1913年(大正2年)3月3日、福岡県に生まれる〔〔。 小劇団に所属していたが、旧制小学校卒業後、満13歳になった1926年(大正15年)、帝国キネマ芦屋撮影所に子役として入社した〔。同年7月13日に公開された、松本英一監督によるサイレント映画『銀の雨』に出演し、「五月秋子」の名でクレジットされたのが、映画史上に残る最初の出演記録である〔。同社ではほかに1928年(昭和3年)1月13日に公開された『親を呼ぶ鳥』(監督亀井清一)に出演した記録があるが、同社でのその他の出演については不明で、同社では目が出なかったとされる〔〔。 満16歳を迎える1929年(昭和4年)には、兵庫県武庫郡精道村芦屋(現在の同県芦屋市)にあった同撮影所から、奈良県生駒郡伏見村(現在の同県奈良市あやめ池北1丁目)にあった市川右太衛門プロダクションに移籍している〔〔〔。同プロダクションでは「小夜 文子」と名乗り、娘役で出演した〔〔〔。同年7月13日に公開された、東亜キネマ京都撮影所製作、東亜キネマ配給、橋本松男監督による『鞍馬天狗』に「五十鈴 桂子」の名で出演した記録も存在する〔。いずれにしても、1931年(昭和6年)9月1日に公開された、嵐寛寿郎プロダクション製作、新興キネマ配給、山口哲平監督による『鞍馬天狗 解決篇』に出演して以降は、「五十鈴桂子」に統一されている〔〔〔〔〔。同年、京都の東亜キネマに移籍したが、同社は同年に崩壊し、受け皿として設立された東活映画社に移籍している〔〔〔。同社では、歌川絹枝と並ぶ人気を得たが、同様に東亜キネマから同社に移籍した小川國松(1908年 - 没年不詳)とは、1932年(昭和7年)5月15日に公開された『涙の曙』(監督三星吐詩夫)で共演、電撃的に結婚し、話題となった(のちに離婚した)〔キネマ旬報社, p.121.〕。同社は同年10月に解散、五十鈴は宝塚キネマ興行に移籍、同年12月15日に公開された第1回作品『敵討愛慾行』(監督堀江大生)に出演した〔〔〔。 1933年(昭和8年)、宝塚キネマ興行の崩壊後は新興キネマに移籍した〔〔〔。同社では、女性ファンに人気があったという〔。1935年(昭和10年)には京都のエトナ映画に移籍、翌1936年(昭和11年)には東京の大都映画に、と各社を転々とした〔〔〔。同年中に極東映画に移籍したが、満24歳となった翌1937年(昭和12年)12月31日に公開された正月映画『初姿忍術道中双六』(監督山口哲平)に出演して以降、出演記録が見当たらない〔〔〔。時代は第二次世界大戦に突入し、以降の消息も不明である〔。没年不詳。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「五十鈴桂子」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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