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小宮 三保松(こみや みほまつ、1859年(安政6年)5月 - 1935年(昭和10年)12月29日)は、戦前の日本の官僚、法曹、文学研究者。李王職次官、大審院検事、法典調査会委員。錦鶏間祗候。 == 略歴 == 下総国古河藩士小宮久左衛門の子として生まれる〔20世紀日本人名事典などでは周防国出身とある。なお、小宮の岳父は長州出身である。〕。1884年(明治17年)に司法省法学校の第一期生として卒業し、司法省御用掛となる。司法省議事局・民法局に勤め、1886年(明治19年)に代言人試験委員に任命される。同年、司法制度研究のため、欧州に3ヵ年の留学を命じられる。帰国後、1890年(明治23年)に東京始審裁判所検事となり、貴族院書記官、枢密院議長秘書官、大審院検事などを経て、1907年(明治40年)に韓国宮内次官、1911年(明治44年)に李王職次官に就任する。また、法典調査会委員を務めた。1917年(大正6年)1月15日、錦鶏間祗候を仰せ付けられた〔『官報』第1334号、大正6年1月16日。〕。 後年は古事記、日本書紀、万葉集など古典文学の研究でもしられていた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「小宮三保松」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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