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小山勉 : ミニ英和和英辞書
小山勉[こやま つとむ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

小山 : [こやま]
 【名詞】 1. hill 2. knoll 
: [やま]
 【名詞】 1. (1) mountain 2. (2) pile 3. heap 4. (3) climax 5. critical point 

小山勉 : ウィキペディア日本語版
小山勉[こやま つとむ]

小山 勉(こやま つとむ、1936年7月26日 - 2012年7月2日 )は、日本バレーボール選手、指導者。1964年東京オリンピックバレーボール男子銅メダリスト。
==経歴==
香川県坂出市出身。坂出東部中学校から香川県立坂出商業高等学校に進学し、1953年全日本高校選手権で攻守の要としてチームを全国優勝に導いた。関西学院大学でも全日本大学選手権制覇に貢献。
大学卒業後は実業団の富士フイルムに加入し、ここでもチームの全国制覇に貢献〔訃報:小山勉氏(坂出出身)死去/バレー東京五輪で銅 四国新聞 2012年7月3日閲覧〕。全日本男子にも選出され、1964年東京オリンピックでは銅メダル獲得に貢献。選手引退後は指導者に転じ、富士フイルム監督に就任。
1972年松平康隆の後を引き継いで全日本男子監督に就任する。モントリオールオリンピック日本代表チームを率いたが、準決勝でポーランドに敗れてオリンピック連覇を逸した。
その後、1988年ソウルオリンピックでも再び全日本男子を率いた。
ソウルオリンピック終了後には、松平康隆日本バレーボール協会会長の下で協会の常務理事、専務理事を務めた。
2012年7月2日に、食道癌の為に死去する〔元男子バレー日本代表監督 毎日新聞 2012年7月2日閲覧〕。75歳没。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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