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小山宗政 : ミニ英和和英辞書
小山宗政[こやま]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

小山 : [こやま]
 【名詞】 1. hill 2. knoll 
: [やま]
 【名詞】 1. (1) mountain 2. (2) pile 3. heap 4. (3) climax 5. critical point 
: [そう, しゅう]
 【名詞】 1. sect 
: [せい, まつりごと]
 【名詞】 1. rule 2. government 

小山宗政 ( リダイレクト:長沼宗政 ) : ウィキペディア日本語版
長沼宗政[ながぬま むねまさ]

長沼 宗政(ながぬま むねまさ)は鎌倉時代前期の武将鎌倉幕府御家人長沼氏皆川氏の祖。下野国の有力豪族小山政光の次男。吉見三郎頼経と言う兄(政光の養嗣)がいる為に長沼系図では三男としている。小山朝政結城朝光らの兄弟。
== 生涯 ==
寿永2年(1183年)、志田義広野木宮合戦で討ち、その後は源頼朝に従って平家追討に従軍した。
文治5年(1189年)9月、頼朝の奥州合戦に随行。頼朝から信濃国善光寺地頭職を与えられたが、承元4年(1210年)8月に改替。正治2年(1200年)11月、美濃国大榑荘の地頭職を得た。
その後、建仁3年(1203年)の比企能員の変元久2年(1205年)の畠山重忠の乱北条氏方として従い、更に承久の乱にも従軍した。その直後、摂津国守護職・摂津国藍荘地頭職を得て、更に淡路国守護職、淡路国笑原保・上田保地頭職を給与され、国守・守護を兼帯して淡路国を支配した。
摂津国守護職はその後に改易されたが、淡路国守護職は鎌倉時代末期まで長沼氏に相伝され、貞応2年(1223年)には淡路国の大田文まで作成された。寛喜2年(1230年)8月に嫡子・長沼時宗に譲与した所領は、本領の長沼荘・下野国御厨別当職・淡路国守護職を始めとして、武蔵国陸奥国・美濃国・美作国備後国などの諸国に及ぶものだった。
仁治元年(1240年)11月19日に、下野国長沼荘(栃木県真岡市)で79歳で没した。
吾妻鏡』によると、些細な事でしばしば激昂するとても気性の荒い人物であったと伝えられており、問題発言も度々発したとされ、「荒言悪口の者」と評されている〔佐藤・谷口、146頁〕。
「当家の武勇はすべて自分に帰するものだ」と公言して憚らず(『吾妻鏡』正治二年(1200年)二月六日条)、海道十五カ国の民間の無礼を糺すためと称して頼朝から弓を賜ったことを面目とし、文人肌の三代将軍・源実朝を批判して「当代は、蹴鞠を以って業と為し、武芸は廃るるに似たり、女性を以って宗と為し、勇士はこれなきごとし」(『吾妻鏡』健保元年(1213年)九月二十六日条)と言って出仕をとどめられるほどの荒言悪口の者であった〔野口実著『伝説の将軍 藤原秀郷』吉川弘文館 2001年〕〔関・野口、128-129頁〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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