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小山正武(こやま まさたけ、嘉永2年(1849年) - 大正13年(1924年)1月6日)は幕末の桑名藩士、明治時代の官僚。旧姓は馬場。通称は良介、後に丹蔵。号は米峰。桑名藩領柏崎に生まれ、戊辰戦争で幕府側として戦い、廃藩置県後、安濃津県、内務省、高知県、大蔵省に出仕した。新選組の油小路事件直後の現場を目撃した人物としても知られる。 == 生涯 == === 修学・戊辰戦争 === 嘉永2年(1849年)、伊勢桑名藩士馬場彦太夫長男として、同藩領越後国柏崎陣屋に生まれた〔加太邦憲『加太邦憲自歴譜』、加太重邦、昭和6年 p.291-295〕。安政5年(1858年)桑名本国に移り、藩校立教館、大塚晩香私塾に入学し、慶応元年(1865年)頃四天流剣術を学んだ〔。慶応2年(1866年)頃、藩命により備中国に赴任して阪谷朗廬に漢学を学び、慶応3年(1867年)京都に上り、西周私塾で英学を学んだ〔。11月19日早朝、塾友と油小路通を散歩中、御陵衛士伊東甲子太郎、服部武雄、藤堂平助、毛内有之助の死体を発見した〔『史談会速記録』第104輯〕。 明治元年(1868年)、鳥羽伏見の戦い開戦を聞いて大坂より参戦し、指を欠損、江戸に落ち延びた〔。立見尚文等と共に脱藩、宇都宮城の戦いに参戦し、越後戦線では雷神隊に属し偵察の任務に当たったが、股を銃弾が貫通し、某村で療養していたところ、終戦の気配を察し、明治2年(1869年)初頃桑名に帰った〔。同年末頃、桑名義塾寮長に任命され、和漢洋の歴史を攻究した〔。明治3年(1870年)12月末、高松範重、水野勝毅、滝安良と4名で鹿児島藩に留学し、政情を視察した〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「小山正武」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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