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小山満雄 : ミニ英和和英辞書
小山満雄[おやま みつお]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

小山 : [こやま]
 【名詞】 1. hill 2. knoll 
: [やま]
 【名詞】 1. (1) mountain 2. (2) pile 3. heap 4. (3) climax 5. critical point 
: [おす]
 【名詞】 1. male (animal) 

小山満雄 : ウィキペディア日本語版
小山満雄[おやま みつお]

小山 満雄(おやま みつお、1877年(明治10年)3月9日〔『陸軍後備役将校同相当官服役停年名簿. 昭和6年4月1日調』〕 - 1936年(昭和11年)12月25日)は、日本の陸軍軍人日露戦争では第三軍の一員として戦い、のち歩兵第十六連隊長を務めた陸軍少将である。

==経歴==
会津藩藩士小山満峻の長男として宇都宮に生まれる。満峻は戊辰戦争後に栃木県に勤務した〔(ACAR Ref.A09054380600、職員録・明治十九年十二月・職員録改(栃木県)(国立公文書館))〕。小山は陸軍士官学校9期〔(JACAR Ref.C13070989200、陸軍歩兵学校 職員名簿 大正4年-昭和5年9月30日(防衛省防衛研究所)〕〔*>『日本陸海軍将官辞典』では10期とされるが、少尉任官時期が明治31年6月とする複数の資料と整合性がない。〕で、稚松会創立会員の一人〔『稚松会会誌』明治45年〕。陸士同期では武川寿輔などが同様であった。小山の原隊は歩兵第十五連隊高崎)、兵科歩兵であり、1898年(明治31年)6月に歩兵少尉へ任官している。中尉時代に日露戦争に出征し、旅順二〇三高地の攻略戦に加わった。1904年(明治)37年8月大尉に進級し、奉天会戦では田義屯〔*>奉天に北方から連絡する法庫門街道沿いに所在。〕の戦いに功績があった〔『』会津会雑誌第五十号』「 死亡会員略伝 小山満雄君」〕。戦後金鵄勲章を授与される。
戸山学校教官を経て、少中佐時代は歩兵第六四連隊都城)附、技術審査部審査官、歩兵学校教官、同研究部員〔『陸軍現役将校同相当官実役停年名簿. 大正3年7月1日調』〕、技術審査部議員、騎兵学校御用掛〔『陸軍現役将校同相当官実役停年名簿. 大正6年9月1日調』〕、技術本部御用掛〔『陸軍現役将校同相当官実役停年名簿. 大正9年9月1日調』〕を歴任した。小山は小銃射撃に優れた技量を有していた。
1921年(大正10年)6月28日に大佐へ進級し、新発田連隊区司令官に就任〔『官報』第2673号、大正10年6月29日。〕。翌年8月に歩兵第十六連隊新発田)の連隊長となる。3年弱在任し1925年(大正14年)5月1日、少将へ昇進。同月中に予備役編入となった。 従四位勲三等功四級〔*>『陸軍現役将校同相当官実役停年名簿』では功四級と記載され、『陸軍予備役将校同相当官服役停年名簿. 大正15年4月1日調』も同様であるが、その後の名簿では功五級となっている〕に叙されている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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