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小山源五左衛門 : ミニ英和和英辞書
小山源五左衛門[こやま]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

小山 : [こやま]
 【名詞】 1. hill 2. knoll 
: [やま]
 【名詞】 1. (1) mountain 2. (2) pile 3. heap 4. (3) climax 5. critical point 
: [みなもと, げん]
 【名詞】 1. source 2. origin 
: [ご]
  1. (num) five 
: [もん]
  1. (n,n-suf) (1) gate 2. (2) counter for cannons 

小山源五左衛門 ( リダイレクト:小山良師 ) : ウィキペディア日本語版
小山良師[おやま よしもろ]

小山 良師(おやま よしもろ、慶安元年(1648年) - 正徳5年9月4日1715年10月1日))は、江戸時代前期の武士赤穂藩浅野氏の家臣。通称は源五左衛門(げんござえもん)、一説に源五右衛門(げんごえもん)。
== 生涯 ==
慶安元年(1648年)、大石良欽の三男として生まれた。母は鳥居忠勝の娘。大石良雄にとっては叔父にあたる。
寛文6年(1666年)3月26日、中小姓(24石4人扶持)として浅野長直に仕えた。延宝3年(1675年)11月25日、伯父にあたる赤穂藩士・小山良秀の養子となり、足軽頭300石にまでなった。
元禄14年(1701年)の主君・浅野長矩による刃傷事件によって赤穂藩改易されると、赤穂城での論争では一貫して大石派として行動し、神文血判書も提出して大石良雄の盟約に加わった。赤穂城開城後は京都に住み、同じく大石の親族の進藤俊式とともに山科の良雄を支えて、浅野家再興運動に協力した。
ところが、元禄15年(1702年)7月、長矩の弟・浅野長広広島藩お預かりが決まり、浅野家再興が絶望的になると、大石は仇討ち一本の路線に転換し、命を惜しむ者に脱盟の機会を与えるため「神文返し」を行うが、小山は閏8月10日をもって脱盟した。また進藤もこの頃に脱盟しており、さすがの大石も2人に再考を求めたが、閏8月25日付の書状で再度脱盟を告げた。しかし、同年末の大石らによる吉良邸討ち入りが行われると、脱盟を悔やんで剃髪し、山城八幡に住んで鳥居休澤と号した。
正徳5年(1715年)9月4日に死去。享年68。京都の紫野瑞光院に葬られた。法名は廣徳院雲叟休澤。

category:赤穂事件関係人物


抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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