翻訳と辞書
Words near each other
・ 小山田八左衛門
・ 小山田和夫
・ 小山田圭吾
・ 小山田大
・ 小山田大学助
・ 小山田宗徳
・ 小山田容子
・ 小山田将
・ 小山田小学校
・ 小山田川田蒲生線
小山田庄左衛門
・ 小山田弘子
・ 小山田弥三郎
・ 小山田弥太郎
・ 小山田昌成
・ 小山田昌行
・ 小山田昌貞
・ 小山田昌辰
・ 小山田明美
・ 小山田春樹


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

小山田庄左衛門 : ミニ英和和英辞書
小山田庄左衛門[おやまだ しょうざえもん]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

小山 : [こやま]
 【名詞】 1. hill 2. knoll 
: [やま]
 【名詞】 1. (1) mountain 2. (2) pile 3. heap 4. (3) climax 5. critical point 
: [た]
 【名詞】 1. rice field 
: [もん]
  1. (n,n-suf) (1) gate 2. (2) counter for cannons 

小山田庄左衛門 : ウィキペディア日本語版
小山田庄左衛門[おやまだ しょうざえもん]
小山田 庄左衛門(おやまだ しょうざえもん、生没年不詳)は、江戸時代前期の武士赤穂藩浅野氏の家臣。
== 生涯 ==
赤穂藩士・小山田一閃(江戸詰め藩士)として誕生。父の隠居後に家督を継ぎ、江戸詰め100石となる。
元禄14年(1701年)3月14日に主君・浅野長矩江戸城にて高家吉良義央に対し刃傷におよび、赤穂藩が改易になると、大石良雄による仇討ちの盟約に早くから加わり、本所林町五丁目に堀部武庸と住んでいた。ところがその後、同志の片岡高房から金5両と小袖を盗んで逃亡した。なお、元禄15年(1702年)12月15日の討ち入り後、父・一閃は詳細を知りこれを恥じて12月18日に切腹している。
享保6年(1721年)1月15日、深川万年町冬木店に住む中島隆碩という医者の夫妻が、下男の直助に殺害された事件が起こった。『享保通鑑』は中島隆碩が赤穂藩主・浅野長矩に仕えていたことを記しているため、これが小山田庄左衛門であるとしているが真相は不明である。なお、事件は講談『直助権兵衛』として描かれている。



抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「小山田庄左衛門」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.