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小島 啓民(こじま ひろたみ、1964年3月3日 - )は、日本の野球選手、野球指導者。第16回アジア大会日本代表チームなどの監督を務めた。 == 経歴 == 諫早高校では第61回全国高等学校野球選手権大会、第52回選抜高等学校野球大会に出場〔ながさきベースボールアカデミー 代表挨拶 〕。2年春は一番・三塁手として、2回戦の対東海大三戦で決勝タイムリーを放つなどの活躍をしている〔読売新聞、1980年4月1日付朝刊、P.17 〕。高校卒業後は早稲田大学に進み、2年時からレギュラーになった〔。 大学卒業後は社会人野球の三菱重工長崎に進み、には四番打者として第62回都市対抗野球大会での準優勝に貢献。久慈賞を受賞し、同年は初の社会人ベストナインにも外野手として選ばれている。はバルセロナオリンピック野球日本代表にも選ばれ、同五輪では8試合に全て指名打者として出場。計17打数4安打と打率は低かったが、予選の対スペイン戦と対ドミニカ戦では計7打点を挙げるなど、勝負強さを見せた〔別冊宝島、1546号、P.82〕。また、決勝トーナメントでは3試合全てに指名打者として先発出場している〔別冊宝島、1546号、P.80〕。 には三菱重工長崎で選手兼任の監督となり、のち専任監督としてまで務めている〔朝日新聞、2000年4月5日付朝刊、長崎地方面〕。この間には第70回都市対抗野球大会で準優勝を果たした。 監督引退後の2000年9月からJOC在外研修生としてサンディエゴ・パドレス傘下の1Aの球団に1年間帯同している。 帰国後は社内で太陽電池部門の立上げに携わり〔、その後のハーレムベースボールウィークやのアジア大会、のIBAFワールドカップなどで日本代表のコーチを務め、の第16回アジア大会では監督としてチームを3位に導いた。また、NPO・ながさきベースボールアカデミーの代表も務めている。9月にパナマで開催された第39回IBAFワールドカップで日本代表監督となった。チームは2勝5敗で第1ラウンドで敗退した。の第17回アジア大会も監督として指揮を執ることになっている。 また、社業では2011年4月から人事交流で長崎県環境部のナガサキ・グリーンニューディール推進室に出向している〔毎日新聞、2011年5月8日付朝刊、長崎地方面〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「小島啓民」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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