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小島 洋々(こじま ようよう、1891年(明治24年)12月16日 - 没年不詳)は、日本の俳優、オペラ歌手〔KINENOTE 小島洋々の項 〕〔コトバンク 2015年10月26日閲覧 ">小島洋々とは コトバンク 2015年10月26日閲覧 〕。東京市下谷区御徒町(現在の東京都台東区)出身。本名は小島 正次。 == 来歴・人物 == 埼玉県浦和中学校(現在の埼玉県立浦和高等学校)を経て東京音楽学校に入り、1912年卒業とともに帝国劇場歌劇部に入り、1914年に卒業。帝劇オペラに三浦環、7代目松本幸四郎と共演している。1916年9月、舞台協会及び山本嘉一らと一座を結成する。1917年には傑作座を創立、大阪アシベ倶楽部に半年だけ出演した後、石井漠、沢モリノと一座を結成した。 1920年12月、日活向島撮影所に入り映画俳優となる。1923年4月、帝国キネマ芦屋撮影所に移り、松本泰輔や里見明主演作品に多数出演する。しかし、1925年に帝国キネマが分裂、小島はアシヤ映画に移る。その後再び合流し、新興キネマに代わっても引き続き在社した。 その後、1935年にP.C.L.映画製作所に移る。1937年に東宝に合併した後も在社し続け、戦後まで至る。1948年、新東宝に移り、さらに1954年には東映東京撮影所に移る。そして満69歳にして、1961年に公開された村山新治監督映画『故郷は緑なりき』まで出演した。その後の出演記録は無く、以後の消息も明らかになっていない。没年不詳 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「小島洋々」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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