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小島 源三郎(こじま げんざぶろう、1874年(明治7年)11月15日〔『人事興信録』第4版、こ34頁。〕 - 1934年(昭和9年)5月19日〔『日本人名大辞典』755頁。〕)は、日本の内務官僚、弁護士。官選秋田県知事、静岡市長。 ==経歴== 群馬県勢多郡出身。小島彦右衛門の二男として生まれる〔『新編日本の歴代知事』172頁。〕。群馬県尋常中学校、私立日本中学校を経て、第一高等学校を卒業。1911年7月、東京帝国大学法科大学法律学科(仏法)を卒業。同年11月、文官高等試験行政科試験に合格。内務省に入省し総務局属となる〔〔〔『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』182頁。〕。 以後、広島県参事官、内務省参事官、関東州民政署事務官・旅順支署長、関東都督府民政署長、長崎県事務官・第四部長、静岡県事務官・内務部長などを経て、1913年6月、兵庫県内務部長となる〔〔。 1916年4月、秋田県知事に就任。吉乃鉱山精錬所設置問題で反対する地元側を支援。そのため、1917年1月に知事を休職となる〔〔。同年11月28日、依願免本官となり退官した〔〔『官報』第1598号、大正6年11月29日。〕。 同年、原敬の勧めで露領水産組合長に就任し、ロシア革命政府と漁業権の交渉を行った〔。1926年9月、静岡市長となり1929年9月まで在任。1931年に弁護士を開業した〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「小島源三郎」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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