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小崎 利準(こさき としなり〔『明治時代史大辞典 第一巻』979頁。〕 / おざき りじゅん〔『新編日本の歴代知事』537頁。〕、1838年2月12日(天保9年1月18日)- 1923年(大正12年)1月31日〔『官報』第3149号、大正12年2月1日。〕)は、幕末の伊勢亀山藩士、明治期の内務官僚。官選岐阜県知事、錦鶏間祗候。旧名・公平〔。 ==経歴== 伊勢国鈴鹿郡亀山江ヶ室(現三重県亀山市)〔『地方長官人物評』79-82頁。〕で、亀山藩士の家に生まれ、藩校で学問を修めた〔『濃飛人物史 復刻版』184-186頁。〕。 慶応4年7月2日(1868年8月19日)笠松県判事に就任。明治2年9月25日(1869年10月29日)同少参事、明治3年4月5日(1870年5月5日)同大参事を経て、明治4年11月22日(1872年1月2日)笠松県が廃止され岐阜県権参事に就任〔〔。1873年12月28日、村田氏寿権令の転任に伴い参事に昇進し岐阜県庁の責任者となる〔『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』99頁。〕。1875年7月19日、権令、1878年7月25日、県令に昇進〔。1886年7月19日、地方官官制改正に伴い岐阜県知事となる〔。 1879年、県会が開設されると、飛騨選出議員の山岳派と美濃選出議員の水場派の対立が激しくなった〔。山岳派は道路・橋梁費の増額を主張し、水場派は治水・堤防費の増額を主張した〔。1880年、地方税規則改正により堤防費が官費から地方税の支出に変更され、飛騨の地方税が美濃の治水費に支出されることに対して山岳派の不満が高まった〔〔。小崎は、飛騨側の請願総代の関係方面への陳情に便宜を図り〔、治水費と道路・橋梁費の均衡を保つなどの政策を行った〔〔。 1891年10月、濃尾地震により大きな被害がもたらされ、翌11月、臨時県会が開催された。その開会中の同月24日、震災救済同盟が岐阜西別院で小崎知事批判の集会を開き、その鎮圧のため警官隊が抜刀したことにより多数の負傷者が発生した(西別院事件)。また、1892年の県会で県の被災者救助の支出に不正があったとして決算が不承認となり、1893年に震災復旧工事の疑獄事件が発生した〔。このため、1893年3月22日、知事を依願免本官となり退官した〔『官報』第2916号、明治26年3月23日。〕。 1894年、東京に移り国民協会に入会した〔。1897年12月28日、錦鶏間祗候を仰せ付けられる〔『官報』第4350号、明治31年1月4日。〕。1923年、旅行中の神戸で死去した〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「小崎利準」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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