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小嶋伸介(こじま しんすけ、1935年8月19日 - )は、日本の撮影技師、特撮監督、アニメータ-、プロデューサー。 == 来歴 == 戦後、大映調布撮影所に入所。「撮影部」に配属され、特殊撮影室の助手となる。 1956年(昭和31年)、カラーSF映画『宇宙人東京に現わる』(島耕二監督)に参加。的場徹の助手を務める。 1957年(昭和32年)、『透明人間と蝿男』(村山三男監督)の特撮助手を担当。 1961年(昭和36年)、日本初の70mm総天然色スペクタクル映画『釈迦』(三隅研次監督)に参加。動画会社ピー・プロダクションを設立したばかりの鷺巣富雄(うしおそうじ)、渡辺善夫が動画・作画合成を担当。 この時期、撮影所の組合の委員長となる。 1963年(昭和38年)、特撮パニック映画『大群獣ネズラ』で特撮のチーフ助監督。「生きたネズミを使う」という撮影方法が衛生問題となり、組合争議にまで発展。製作中止となってしまう。 同じ頃、『釈迦』以来の付き合いの鷺巣富雄(うしおそうじ)から、TVアニメ番組『0戦はやと』(フジテレビ)へのスタッフ参加を呼びかけられ、迷った末に小嶋は田賀保らとともに大映を退社し、ピープロに入社。『0戦はやと』の制作進行、合成撮影を担当。 1964年(昭和39年)、ピープロの今後についてうしおと相談し、「特撮を長所にしたほうが良いだろう」と方針を固め、パイロット・フィルム『クラブ君の冒険』を制作。 1965年(昭和40年)、虫プロダクションでうしおとともに『クラブ君の冒険』の試写を行ったところ、東急エージェンシーの上島一夫の目に留まり、この企画は東急エージェンシーのもと、フジテレビで特撮番組企画となり、うしおは『マグマ大使』の実写化を企画。パイロットフィルムを制作。 1966年(昭和41年)、特撮TV番組『マグマ大使』(フジテレビ)の特撮監督を担当。この番組で小嶋はスタッフ集めから関わっている。この『マグマ大使』は初回30%を超える高視聴率を弾き出し、人気番組となる。『マグマ大使』と併せ、『0戦はやと』の撮影も兼任。 1967年(昭和42年)、前年から関わった「日本特撮株式会社」の特撮番組『怪獣王子』の進行が滞り、年明けから渡辺善夫と共に京都に赴任して『怪獣王子』の特撮監督を務めたほか、製作全般に関わる。 1968年(昭和43年)、松竹京都で特撮映画『吸血鬼ゴケミドロ』(佐藤肇監督)の特撮監督。『怪獣王子』終了後、TVパイロット・フィルム『豹マン』を監督。こののち、ピープロを退社。テレビ番組制作会社C.A.Lに移籍。プロデューサーとなる。 1969年(昭和44年)、TBS「ナショナル劇場」枠で『水戸黄門』をプロデュース。40年近い長寿番組となる。 1972年(昭和47年)、フジテレビで『木枯らし紋次郎』をプロデュース。このほか、C.A.Lで多数のテレビ番組に関わる。 1993年(平成5年)、東宝映画『帰って来た木枯らし紋次郎』(市川昆監督)を製作。 近年は「全国ふるさと大使連絡会議」の副代表として、「水戸大使」を務めている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「小嶋伸介」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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