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小川 友一(おがわ ゆういち、1946年2月27日 - )は、日本の政治家。自由民主党所属の元衆議院議員(1期)。東京都日野市出身。上杉鷹山を尊敬し、「民富まずして藩潤わず」が政治信条。 == 略歴 == 1964年東京都立第五商業高等学校、1968年日本大学商学部卒業。家業の鉄工所経営を経て、「教育立国」を掲げた新自由クラブの理念に賛同し、伊藤公介衆議院議員の秘書を11年間務めた。伊藤の自民党入党に従った後、1990年日野市議会議員に当選(以後4期15年)。2000年に市議会議長に就任し、以後日野市では初めて2期連続で議長(第20・21代)を務めた。 2005年の総選挙に、解散直後に比例区に鞍替えした高木陽介(公明党)に代わって、急遽東京21区(立川市、日野市、昭島市)から自由民主党公認・公明党推薦で出馬し、前職の長島昭久(民主党)に1万票以上の差をつけ、いわゆる小泉チルドレンとして初当選。当選後は清和政策研究会(町村派)、83会、伝統と創造の会(副会長)、国家戦略本部に所属。 議会役職は、文部科学委員会(委員)、災害対策特別委員会(委員)、財務金融委員会(委員)。国体対策委員は、国土・建設関係団体副委員長、都市の農業を考える若手議員の会会長、東京都連広報委員長代理。 2007年7月21日、妻・洋子が死去。 2009年の第45回衆議院議員総選挙でも公明党の推薦を受けたが、東京21区で長島にダブルスコアで惨敗し、比例復活もならず落選した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「小川友一」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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