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小川 宏(おがわ ひろし、1926年4月17日 - )は、東京都墨田区出身のフリーアナウンサー・司会者。NHKの元アナウンサー。 == 来歴 == 東京府南葛飾郡寺島村(現:東京都墨田区東向島)生まれ。東京都立第七中学校(現:東京都立墨田川高等学校)を経て早稲田大学専門部工科建築科を卒業後、一旦間組(現在のハザマ)に入社するも半年で退職。NHKには二次募集で入局した。同期には八木治郎、大塚利兵衛、福島幸雄、穂坂俊明がいる。鶴岡放送局、郡山放送局(現在はいずれも支局)に勤務後、1952年より東京勤務となる。1955年より『ジェスチャー』の4代目司会者として10年にわたって活躍。同番組における圧倒的な知名度を背景に1965年1月に退職。 NHK退職後、フジテレビと専属契約を結び、1965年5月より同局朝のワイドショー『小川宏ショー』の司会を通算17年務め、4451回という金字塔を打ち立て、「人名を冠した番組の最長寿記録」としてギネスブックから認定・掲載された(後に「森田一義アワー 笑っていいとも!」(タモリ<森田一義>司会)がこの記録を塗り替えている)。同番組における小川の穏やかな雰囲気や話術は主婦層にも長く支持され、この点から「春の小川」なる異名を取るようになった。また、同番組には朝の生放送番組であるにも関わらず、杉村春子、高峰三枝子、石原裕次郎、長嶋茂雄、前田武彦、永六輔、黒柳徹子などの大物ゲストが多数出演しており、これも小川の司会ぶりに対する信頼の高さを裏付けるものとなった。 『小川宏ショー』終了後、うつ病を発症し自ら克服、その体験談を出版し、後にその経験を元に講演活動を行うなど活躍している。 二女の夫は作曲家の中山大三郎。2005年に中山が死去。中山の死後、中山が遺した作品は現在全て小川や二女や孫、中山の弟たちが権利を保管している。 読売新聞などのテレビ欄の投稿コーナーに「アナウンサー」として投稿することもある。また、読売の一般投稿気流欄には一国民として投稿している。 なお、幼馴染の3代目三遊亭圓歌によると、彼は元々吃音者であり、圓歌が真似をしているうちに同じく吃音者になってしまい、それが彼を落語家にするきっかけとなったという。とある機会にアナウンサーと落語家として再会した時にはお互いに驚いた、と圓歌は「中沢家の人々」の中で話している。 NHK時代、先輩アナウンサーからは「小川ちゃん」と呼ばれ、かわいがられた。高橋圭三からは「顕微鏡で調べて望遠鏡で放送しろ」とアドバイスされたという。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「小川宏」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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