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小川 平二(おがわ へいじ、1910年1月14日 - 1993年7月16日)は、日本の政治家。労働大臣、自治大臣、文部大臣等を歴任した。 鉄道大臣、司法大臣等を歴任した小川平吉の二男として、東京都に生まれる〔第102代 文部大臣 小川 平二(おがわ へいじ)プロフィール 〕。衆議院議員・後楽園スタヂアム副社長等を務めた小川一平は兄、日中国交回復後、初代中国大使を務めた小川平四郎は弟、宮澤喜一元首相および衆議院議員・現駐チリ大使の小川元はそれぞれ甥にあたる。 == 来歴・人物 == 東京府立五中、旧制佐賀高等学校、東京帝国大学経済学部を卒業後、三菱商事、企画院の外郭団体「東亜研究所」を経て、1949年第24回衆議院議員総選挙に旧長野3区から立候補し当選、以後当選12回(当選同期に池田勇人・佐藤栄作・前尾繁三郎・橋本龍伍・麻生太賀吉・小渕光平・福永健司・塚原俊郎・木村俊夫・藤枝泉介・稲葉修・河本敏夫・森山欽司・床次徳二・有田喜一など)。 保守合同後は池田派に所属し、内閣官房副長官(政務担当)。1967年第2次佐藤内閣第1次改造内閣で労働大臣として初入閣を果たす。以後1976年に福田赳夫内閣で自治大臣・国家公安委員会委員長・北海道開発庁長官、1981年に鈴木善幸内閣改造内閣で文部大臣を歴任。1983年政界を引退。 株式会社ぎょうせいの社長、会長も務めた。1983年勲一等旭日大綬章受章。1993年7月16日、83歳にて死去。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「小川平二」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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