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小川 忠太郎(おがわ ちゅうたろう、1901年(明治34年)1月10日 - 1992年(平成4年)1月29日)は、日本の剣道家。段位は全日本剣道連盟範士九段。小野派一刀流免許皆伝。警視庁剣道名誉師範。庵号は無得庵、道号 刀耕。 == 経歴 == 埼玉県熊谷市出身。国士舘高等科を卒業。1919年(大正8年)、高野佐三郎に入門。1934年(昭和9年)、大日本武徳会から剣道教士号を授与される。1940年(昭和15年)、笹森順造に入門し、後に笹森から小野派一刀流免許皆伝を授かる。1941年(昭和16年)、国士舘専門学校剣道主任教授に就任。 剣道は主に、斎村五郎、持田盛二に学ぶ。持田との「百回稽古」が出版されている。 小野派一刀流のほか、一刀正伝無刀流を石田和外に、直心影流法定を加藤完治に学ぶ。人間禅教団にて参禅、師家となる。また同教団付属宏道会の剣道師範となる。 1953年(昭和28年)、警視庁剣道指導室師範に就任。1967年(昭和42年)、同主席師範に昇任。1970年(昭和45年)、警視庁を退職し名誉師範の称号を授与される。 1975年(昭和50年)、全日本剣道連盟審議員として「剣道の理念」制定に尽力。自身の座右の銘とする。全剣連の講習会における剣道理念の解説は、剣禅に深い見識ある小川のみが行った。 1992年(平成4年)、死期を悟って辞世を詠み、数日後に死去。辞世の歌は「我が胸に 剣道理念抱きしめて 死に行く今日ぞ 楽しかりける」。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「小川忠太郎」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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