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小川 誠一(おがわ せいいち、1970年7月21日 - )は、千葉県出身の元サッカー選手。1990年代の名古屋グランパスエイトの主力左サイドバック。 == 略歴 == 船橋市立船橋高等学校ではインターハイ2連覇、高校選手権でも準優勝を経験するなど、初期の黄金時代を築く主役として活躍した。高校1年生からレギュラーで出場しており、当時は野口幸司(ベルマーレ平塚など)、曽我豊明(水戸ホーリーホックなど)と小川の3人が市船の将来を託された選手であった。特に市船の売りである「鉄壁のディフェンス」は、小川が2年生のときは完成しており、高校2年生のときは新井二朗(日立、フジタなど)とディフェンスラインを組んだ高校総体インターハイ(北海道開催)では、初出場初優勝を飾っている。当時、高校最強チームと言われた長崎県立国見高等学校に2対1で勝利している。その年度の高校選手権ではベスト8で神奈川県代表の神奈川県立旭高等学校と戦い、後半残り10分で市船得意のセットプレーで得点を挙げている。この時の得点者が、小川である。この時のセットプレーは当時キャプテンの安達亮(横浜フリューゲルスなど)のブロックサインにより、ショートコーナーを決めたものである(ブロックサインはその後、盛んにいろいろなチームで取り入れられた)。しかし、チームは初のベスト4で敗れた。 高校卒業後、1989年にトヨタ自動車に加入し、コニカカップ優勝などに貢献。トヨタ時代の選手登録はフォワードであったが、ディフェンダーとして期待された若手であった〔『1990-1991JSLイヤーブック』p65〕。機を見た攻撃参加と精度の高いクロスで活躍した〔『Jリーグオフィシャルガイド1997』p34〕。名古屋在籍中に第75回(1995年度)第79回(1999年度)で2回の天皇杯優勝を経験しているが、2つの決勝では共に左サイドバックの先発で出場した。引退後は名古屋グランパスエイトの普及部コーチを務め、2009年よりユースチーム(U-18)監督。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「小川誠一」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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