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小早川 朝平(こばやかわ ともひら)は、鎌倉時代末期から南北朝時代にかけての武将。鎌倉幕府の有力御家人。沼田小早川氏の当主。 == 生涯 == 父・雅平より沼田小早川氏の家督を相続。朝平は鎌倉幕府の命令に従い、瀬戸内海の海賊衆取り締まりに積極的に貢献したようで、正和3年(1314年)、海賊・右衛門五郎、雅楽左衛門次郎を捕らえ 、元応元年(1319年)には伊予国の海賊・弥五郎家秀を捕えている。 元弘3年/正慶2年(1333年)、元弘の乱に際して孫の貞平を京都へ派遣するが、幕府方は敗北する。貞平は東国へ落ち延びていく六波羅探題の一族郎党400人余りが、近江国番場蓮華寺で自刃する現場までつき従うが、その場を脱出し本領・安芸国沼田荘まで逃げ帰っている。これが原因となり、一時期、建武政権に所領を没収され、沼田小早川氏は窮地に立たされることとなる。しかし、早くから足利高氏の下で戦っていた分家の竹原小早川氏 ・景宗のとりなしなどにより赦免され、南北朝時代以降、足利氏に仕えることとなった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「小早川朝平」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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