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小杉 天外(こすぎ てんがい、1865年11月7日(慶応元年9月19日) - 1952年(昭和27年)9月1日)は、日本の小説家。出羽国仙北郡六郷村(現・秋田県仙北郡美郷町)生まれ。本名・為蔵。 ==生涯と作品== 父小杉豊治は、油絞り、醤油醸造、呉服、古着の店を経営していたが、戊辰戦争では有志隊を組織し勤王軍を支援した。この長男として生まれて、少年時代は漢学者岩谷順太郎に学び、大曲の岡田好成の塾で英語などを学ぶ。1886年に東京に出て、英吉利法律学校と国民英学会に通う。 はじめ政治家を志したが文学に転向し、斎藤緑雨に師事。『當世志士伝』(1892年)などの政治小説を書き、1895年(明治28年)から「奇病」「改良若殿」「卒都婆記」で諷刺作家として高い評価を得た。1897年には後藤宙外とともに丁酉文社を組織し『新著月刊』発行に参加、小説執筆の他、川柳欄の選者を務めたが、この欄への尾崎紅葉の投稿が元で紅葉と疎遠になった。1900年の『はつ姿』、1902年の『はやり唄』は、人妻の姦通などを描いて初期ゾライズム、自然主義のさきがけとされた。 尾崎紅葉亡きあとの1903年、読売新聞に連載した青春小説『魔風恋風』が連載190回の人気となって、このために新聞の再版を出すといったことも起きた。一方では激しい非難もあり淫蕩文学という言葉も作られた。これにより流行作家となり、『コブシ』『長者星』などを書くが、1907年以降大衆作家として文壇の中心から遠ざかる。1948年日本芸術院会員、長命を保った。 「芸術の美の人を感じせしむるや、よろしく自然の現象の人の官能に触るるが如くなるべし」(「はつ姿」序)、「自然は自然である。善でも無い、悪でも無い、美でも無い、醜でも無い、たゞ或時代の、或国の、或人が自然の一角を捉へて、勝手に善悪美醜の名を付けるのだ。小説または想界の自然である。善悪美醜の孰(いずれ)に対しても、叙す可し、或は叙す可からずと羈絆(きはん)せらるゝ理窟はない。」(「はやり唄」序)という語は、フランス自然主義思想の日本の作家への影響の最初の表現として知られるが、ゾラの医学的見地に基づく小説の構成といった方法には到達しえなかったとも言われる(『日本の近代小説』)。 『魔風恋風』は戦後岩波文庫に入り、いったん絶版となったが、本田和子が『女学生の系譜』(1993年)で論じてより、明治の女学生を論じる際の定番テクストとなった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「小杉天外」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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