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小村 達彦(こむら たつひこ、男性、1964年12月24日 - )は、東京都市大学付属中学校・高等学校の数学科教諭。JBC東京在籍のリングアナウンサーでもある人物。 リングアナとして、2014年9月までに30回の世界戦を担当〔、亀田興毅・清水智信のダブル世界戦を担当したこともある。 東京都市大学付属中学校・高等学校では2014年3月まで広報部長も務めていた。〔。 趣味はボクシングの他に、廃線跡を歩く鉄道ファンである。また、同学校で開かれる教員バンドでは、リードボーカルとキーボードを担当している〔。 == 人物 == 立教中学(現・立教池袋中学校)・立教高校(現・立教新座高等学校)を経て、1983年、併設の立教大学経済学部に進学するも、数学教師を志しわずか2ヶ月で仮面浪人を決意。翌1984年、東京学芸大学教育学部に再入学。同学卒業後の1988年、武蔵工業大学付属中学高等学校(現・東京都市大学付属中学校・高等学校)に赴任。現在に至る。数学科教諭で、手作り教材や実験授業などユニークな授業が身上〔みくに出版「中学受験 進学レーダー2010年5月号」 〕。 長きにわたり広報部長をつとめ、自身が勤務する東京都市大学付属中学校は2012年から都内における応募者数最多を3年連続で記録更新中(都内男子校としては2010年から4連連続最多)〔日能研入試情報・2011年男子校 〕。 後述の如くの鉄道マニアで、赴任以来一貫して鉄道研究部の顧問を務める〔イカロス出版「鉄道模型【エヌ】2008年10月号」 〕。同部は柏苑祭(文化祭)の看板展示であり、鉄道研究部に入部したくて都市大付属を受験する生徒も多い。1998年から2011年まで柏苑祭賞(来客者の評価による最優秀賞)文化部部門を14年連続で受賞(2012年に連覇が途切れるも2013年に奪回し2連覇中)。その柏苑祭(文化祭)では教員バンド「Slowfinger加藤と試験に出るロック選考委員会」のメンバーとして、70~80年代の海外のロックを演奏し人気を博す。キーボードとボーカルを担当〔教員バンド「Slowfinger加藤と試験に出るロック選考委員会」 〕。2009年からは同校の広報部に所属し、その中心的存在として学校公式サイトのウェブマスターをはじめ数々の生徒募集活動に携わる。バレーボール部の顧問も務め、1997年に審判員の資格を取得。ただし、現在バレーボール部は廃部となっているため、笛を吹く機会はない。また、司書教諭の資格も持っている。 趣味は多岐にわたり、音楽に関しては前述のロックミュージックの他、クラシック音楽にも造詣が深く、1992年のシーズン以来のNHK交響楽団の年間会員であり、月1回の定期演奏会鑑賞を欠かさない。少年時代からのボクシングマニアが昂じ、専門誌に載っていた日本ボクシングコミッション試合役員募集の記事を見て出願。オーディションを経て、1999年よりリングアナウンサーとして活躍する〔多摩ニュータウンタイムズ2012年1月号 〕。鉄道マニアであることは言うまでもなく、日本・海外の鉄道を乗り歩いている。また、硬券入場券をはじめとする切符コレクターでもある。その様子は個人サイト内の鉄道旅行記に詳しい。1994年にJR宇部線・小郡駅で国鉄(JR)全線完乗を、2000年12月24日には多摩モノレール線・多摩センター駅で日本の鉄道全線完乗を達成。その後、全国各地で新線が開業するたびに乗りに出かけている。現在は、もっぱら廃線跡歩きに精を出している。〔個人サイト「縁之下研究所」内『鉄道写真館』 〕。 1999年1月に脊髄腫瘍のため入院・手術。4週間の寝たきり生活を経て、さらに8ヶ月の闘病生活を強いられたものの、不屈の闘志で病魔を克服。懸命のリハビリの甲斐あって、現在でも両足に後遺症があるが、教諭、リングアナウンサーともに社会復帰を果たした。〔ワールドボクシング2003年7月号 〕 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「小村達彦」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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