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小松 勇五郎(こまつ ゆうごろう、1920年9月18日 - )は、広島県出身の通産官僚。元通商産業事務次官。元神戸製鋼会長。 == 来歴・人物 == 広島高等学校、東京帝国大学法学部卒業。1944年軍需省入省。戦後1953年外務省に出向、1955年から1960年まで一等書記官として在ドイツ大使館(ボン)に赴任。帰国後ヨーロッパ経済の実情を『小松レポート』にまとめ論客として登場した。通産省では、広島通産局、通商局国際経済部長(1968年~1971年)、官房長(1971年6月~1972年5月)、通商局長(1972年6月~、次の和田敏信局長で通商政策局と改組)、初代産業政策局長(1973年7月~、企業局から改組)を経て、事務次官(1974年11月~1976年7月)。 この間、日米繊維交渉にあたった他、事務次官在任中は鉄鋼同調値上げを巡って公正取引委員会と対立し“けんか勇五郎“の異名をとった。また地元に本社を置く自動車メーカーのマツダ再建にも尽力。マツダ再建では、高度成長期を謳歌していた通産官僚の力以上に、融資元である住友銀行出身者の役員派遣を嫌がる松田耕平社長に最終的に受諾を呑ませた大蔵省銀行局がクローズアップされた〔参照:『大蔵官僚』 神一行 講談社 1982年出版〕。退官後は、興銀顧問他を経て1978年に神戸製鋼副社長、副会長、会長に就任した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「小松勇五郎」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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