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小松崎茂 : ミニ英和和英辞書
小松崎茂[こまつざき しげる]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [まつ]
 【名詞】 1. (1) pine tree 2. (2) highest (of a three-tier ranking system) 
: [みさき]
 (n) cape (on coast)

小松崎茂 : ウィキペディア日本語版
小松崎茂[こまつざき しげる]

小松崎 茂(こまつざき しげる、1915年2月14日 - 2001年12月7日)は東京出身の画家イラストレーターである。空想科学イラスト・戦記物・プラモデルの箱絵(ボックスアート)などで幅広く活躍した。
== 略歴 ==

=== 日本画~少年誌での活躍 ===
小松崎は東京の南千住で生まれ、青年期には日本画家を志望し花鳥画堀田秀叢(ほったしゅうそう)に学ぶ。しかし、転じて秀叢の弟弟子の画家・小林秀恒の下で挿絵画家の道を歩むことになる。1938年に「小樽新聞」に連載の悟道軒圓玉の講談小説『白狐綺談』の挿絵でデビューし(筆名は「恒方」)、翌年には科学雑誌『機械化』の挿絵で、戦争物や空想科学を題材にした絵を描き評判になる。本名のほか「三村武」「最上三郎」といった筆名を使い分けるなどして『機械化』誌上を賑わせた。
第二次世界大戦ごろには小松崎の描く挿絵は俄然注目されるようになり、少国民向け雑誌に戦記小説の挿絵や、軍艦戦車飛行機などの戦争イラストを数多く発表する。1945年東京大空襲で生家は全焼し、それまでの資料やスケッチも灰になった。
敗戦後の復興期、進駐軍に群がる子供達の姿を痛々しく思い涙を流したという小松崎は、自分の絵で子供達を励ます事は出来ないかと考えるようになり、作品作りもより精力的に行うようになる。少年誌向けに表紙や挿絵を数多くの雑誌に描き続け、掲載された空想科学イラストは当時の少年達に、未知なるものへの想像力をかき立て人気を博した。
1948年に子供向けの絵物語ブームが起こり、SF冒険活劇物語『地球SOS』が少年画報社の月刊誌「冒険活劇文庫」(後に「少年画報」へ改題)で作画連載(1948-1951年)され、山川惣治と人気を二分した。以後、『大平原児』『平原王』『第二の地球』など西部劇物語もの、科学冒険ものと幅広く執筆し大活躍する。当時娯楽に飢えていた少年少女らはまさに、映画を観るように物語と挿絵に魅せられた。当時の小松崎人気は凄まじく、幾つもの雑誌に掛け持ちで連載や口絵の仕事を抱え、寝る間もない程多忙な日々を送った。
1950年代半ばを境に絵物語人気は漫画に押され凋落していったが、1960年代には戦争を知らない世代の子供達の間で戦記ブームが巻き起こり、各少年誌で戦記漫画、読み物が人気となった。これを受けて小松崎は、得意分野の緻密なメカイラストを様々な媒体で披露、多忙な日々は続いた。
1990年に発行された画集には石ノ森章太郎ちばてつや川崎のぼる松本零士といった名だたる漫画家達が賛辞の声を載せており、小松崎の絵物語を大いに愛読し、影響を受けたといった言葉が述べられている。藤子不二雄Ⓐに至っては、ペンネームを「小松原滋」にしてサインも真似した程であったという。あまり語られないが、小松崎がのちの漫画界に与えた影響は非常に大きかったと言える。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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