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小松 左京(こまつ さきょう、1931年(昭和6年)1月28日 - 2011年(平成23年)7月26日)は、日本の小説家。本名、小松 実(こまつ みのる)。 星新一・筒井康隆と共に「御三家」と呼ばれる、日本SF界を代表するSF作家。1970年の日本万国博覧会でテーマ館サブ・プロデューサー、1990年の国際花と緑の博覧会の総合プロデューサーとしても知られる。宇宙開発の振興を目的とした啓蒙活動にも力を入れ、宇宙作家クラブの提唱者で顧問を務めるなど、執筆以外の活動を幅広いジャンルに対して行っていた。 == 経歴 == === 生い立ち === 先祖は阿波(徳島県)の小松から千葉の外房に行った漁師の一族〔『週刊サンケイ』1982年3月18日号 pp.23-25〕。父親は明治薬学専門学校(現・明治薬科大学)夜学在学中に東京の老舗の漢方薬屋の娘と婚約しのちに結婚した〔。父親が薬学を捨て電気機械の商いを志し、大阪で金属加工の町工場を興したため、大阪府大阪市西区で五男一女の次男として生まれた〔。4歳のとき兵庫県西宮市に転居し、その後は尼崎と西宮で育った〔。京都大学で冶金工学を専攻し三洋電機の技術者となった兄は、戦争のさなかでも科学書を読み漁り、小松に科学の知識を教えた。またこの兄は、広島に落とされた新型爆弾が原子爆弾であることを教えたという。 少年時代は病弱で、スポーツには興味がわかず、歌と漫画と映画と読書に熱中した。また、母方の親戚がいる東京で歌舞伎を見たりもした。大阪でも文楽につれていってもらい、古典芸能についての知識も身につけた。小学校5年の1941年の時に、NHK大阪放送局の子供向けニュース番組「子ども放送局」のキャスターに起用された。 1943年、第一神戸中学校入学。小松は、関西でいう「イチビリ」な性格で、笑芸やユーモア歌謡が好きであったため「うかれ」のアダナをつけられ、戦中は教師からにらまれていた。一方で、体が丈夫でなかったのにもかかわらず、柔道部に入った(戦後は柔道が禁止されたので、ラグビー部に転部した)。終戦時は14才だったが、当時は徴兵年齢がどんどん下がっており、「このまま戦争が続いて、自分も死ぬのだろう」と考えていたが、思いもよらず生き残った。そして、沖縄戦で自分と同年齢の中学生の少年たちが、銃を持たされて多数死んでいるのを知り、「生き残ってしまったものの責任」を考え、文学をそして、将来SFを書く契機となったという(小松に限らず、日本のSF作家第一世代の多くは、「敗戦体験」が創作の基盤となっている)。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「小松左京」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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