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小松 雄一郎(こまつ ゆういちろう、1907年12月24日 - 1996年6月22日 )は、ベートーヴェン研究で知られる音楽学者、政治運動家である。 == 経歴 == 京都府出身。慶應義塾に進んだ。原語のカール・マルクス『資本論』に取り組み、伏せ字だらけのウラジーミル・レーニン『国家と革命』から強く影響を受ける一方で、ロマン・ロラン『ベートーヴェンの生涯』を読み、輸入盤レコードで「交響曲第6番」を聞いて、ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンの世界の虜になっていた。 1931年、慶應義塾大学高等部のストライキに参加。その後、日本共産青年同盟に加盟、まもなく日本共産党に入党。1932年12月12日、治安維持法により逮捕、投獄された。スパイ三船留吉によって特高警察に売られたものとみられる〔倉田稔「多喜二の逮捕 そして スパイ」 (PDF)『商学討究』小樽商科大学、2002年3月29日、52巻4号 pp.3-25〕。 市ヶ谷刑務所でカストナー=カップ著『ベートーヴェン書簡集』を入手し読み通した。転向・出獄後、その訳出を試み、1940年岩波文庫の1冊として出版を果たした。父親の経営する宇治化学で営業担当重役。 戦後、再建された日本共産党の幹部となり、党京都地方委員会、中央宣伝教育部を経て、1951年10月22日より椎野悦朗の後任の臨時中央指導部議長を務めた。1954年、離党。〔高橋彦博 「『大原社会問題研究所雑誌』書評欄オンライン版 大塚 茂樹 著『ある歓喜の歌 ――小松雄一郎/嵐の時代にベートーヴェンを求めて』 『大原社会問題研究所雑誌』第438号(1995年5月)〕〔渡部富哉 スタディルーム 白鳥事件関係裁判資料の公開と真相をめぐって ちきゅう座、2009.12.05〕 ベートーヴェンを研究し、翻訳や著作につとめた。 1980年9月に幽閉先の中国から帰国した伊藤律による口述証言の聞き手を務め、その記録はのちに出版された〔山本博「故国の土を踏みて」朝日新聞、1980年12月。加筆、『週刊朝日』連載を経て、川口信行・山本博著『伊藤律の証言―その時代と謎の軌跡』朝日新聞社、1981年3月。〕〔渡部富哉『偽りの烙印―伊藤律・スパイ説の崩壊』五月書房、1993年、p121〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「小松雄一郎」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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