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小林 俊一(こばやし しゅんいち、1933年1月2日 - 2012年11月15日)は、日本のテレビプロデューサー、演出家。フジテレビジョンなどで活躍した。 == 人物 == 山梨県出身。山梨県立甲府第一高等学校を経て日本大学卒。フジテレビジョンに1期生として入社。 1967年に渥美清とともに、コメディドラマ『おもろい夫婦』を成功させた。 渥美清を山田洋次に紹介し、連続ドラマの脚本執筆を依頼した、いわばドラマ・映画『男はつらいよ』の「生みの親」である。 1968年のテレビドラマ『男はつらいよ』で演出を手掛けた〔。また同年8月27日、作詞家の星野哲郎に、渥美清が歌う主題歌『男はつらいよ』の作詞を依頼した。1969年公開の映画『続・男はつらいよ』では、山田洋次、宮崎晃と共同で脚本を書いた。のちに映画『男はつらいよ』シリーズでも初期は制作でのちに企画を担当し、第4作『新・男はつらいよ』では監督を務めた〔映画『男はつらいよ』シリーズで山田洋次以外が監督を務めたのは、この作品と、第3作で森崎東が監督した『男はつらいよ フーテンの寅』だけである。(朝日新聞 2013年2月9日)〕。 現場主義を貫き、管理職昇進の話を固辞してフジテレビを退社後の1981年(昭和56年)8月、ドラマ企画株式会社「彩の会」(さいのかい)を立ち上げ〔〔、代表取締役になってもテレビドラマの演出に携わった。また、彩の会にはフジテレビの機構改革によってフジプロダクション〔現在のフジテレビ編成制作局制作部門の前身。1980年にフジテレビ本体に事業譲渡して清算された。〕を解雇された旧小林班のスタッフも多数移籍している〔フジプロダクション清算時にフジテレビ本体に転籍できたのはごく一部だけで、ほとんどの従業員は清算と同時にそのまま解雇された。〕。 この他にも代表作として田宮二郎主演のテレビドラマ『白い巨塔』などがある〔。 日本映画テレビプロデューサー協会常務理事も務めた。 2012年11月15日、心不全のため死去〔小林俊一さん死去 TV版「男はつらいよ」演出 朝日新聞2012年11月19日閲覧〕。。 ピーク時には7億円の年商を計上していた彩の会は、2013年9月18日、東京地方裁判所から破産開始決定を受けた。負債総額は1億7000万円であった〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「小林俊一」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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