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小林信近 : ミニ英和和英辞書
小林信近[まこと, しん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [はやし]
 【名詞】 1. woods 2. forest 3. copse 4. thicket 
: [まこと, しん]
  1. (adv,n) truth 2. faith 3. fidelity 4. sincerity 5. trust 6. confidence 7. reliance 8. devotion 

小林信近 : ウィキペディア日本語版
小林信近[まこと, しん]

小林 信近(こばやし のぶちか、天保13年8月28日1842年10月2日) - 大正7年(1918年9月24日)は、日本実業家政治家松山城下(現愛媛県松山市)出身。伊予鉄道会社の創立者であり初代社長。第五十二国立銀行(現伊予銀行)、松山商法会議所(現松山商工会議所)、伊予水力電気(現四国電力)を創立するとともに、海南新聞社(現愛媛新聞社)社長を務めるなど、明治時代に愛媛経済の基盤を作った。
== 生涯 ==

=== 伊予鉄道の設立 ===
1883-1884年(明治16-17年)ころ小林は工部省神戸鉄道局の用材調達を請負っており、大坂に滞在している間阪神間の鉄道旅行を経験していた。小林は松山の道路整備の遅れを鉄道敷設で補うよう意識していたが、当時四国には官設鉄道も建設されてなく思案していた。そのなかで『内務省土木局臨時報告 』を入手した。この本にはヨーロッパの小鉄道を紹介しており土木工事用の簡易な軌道(ドコービル)が紹介されていた。小林は詳細を知るため外国人技師を訪ね指導を受けて松山に鉄道を建設することを決意した〔三木理史『局地鉄道』塙書房、2009年、48-51頁〕。
1885年(明治18年)6月小林は鉄道局へ鉄道敷設を出願した。ところが「聞き届け難し」として却下されたため、小林は上京して鉄道局長官井上勝、技官松本荘一郎に直談判することになった。当時私設鉄道は日本鉄道阪堺鉄道の二社のみで、鉄道局は許可するつもりなどなかった。しかし小林の熱意により試みに鉄道敷設が許可されることになったという〔『伊予鉄道百年史』伊予鉄道、1987年、20-22頁〕〔『伊予鉄電思ひ出はなし』 (国立国会図書館デジタルコレクション)〕。
1900年(明治33年)に南予鉄道道後鉄道と合併したが小林は両鉄道の社長であった古畑寅造に社長の座をわたし会社を去ることになった〔『伊予鉄道百年史』45頁〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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