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小林 完吾(こばやし かんご、1932年4月27日 - )は、日本のフリーアナウンサー。神奈川県鎌倉市出身〔『愛、見つけた 小さな命の置きみやげ』p.28 - 30〕。 == 来歴 == 小学生の時、いじめにあったことから登校拒否となる〔。 高校は、名門といわれる湘南高校に入学したが〔、勉強について行けず、すぐに登校しなくなり1年で中退、進駐軍のハウスボーイになる。その一方で、飲み屋をうろつき回る、喧嘩をするなどの不良行為を行っていた〔週刊朝日 1997年6月20日号〕。また、高校在学中に江藤淳や辛島昇、吉野壮児らと友人となった〔。 米軍キャンプでのアルバイト中に上司から叱責を受けたのがきっかけとなり、再起のため湘南高校の定時制課程に入学した〔。 國學院大學文学部日本文学科へ進学。在学中に自殺未遂事件を起こしたが、立ち直ることを決意。女子アナになった先輩から、声をほめられたことをきっかけにしてアナウンサーを志した〔。 大学卒業後、1960年に鹿児島県のラジオ南日本に入社。1963年5月に退社、同年9月2日に日本テレビへ移籍する。ラジオ南日本に在籍中に地元出身で同期入社だった夫人と出会い、結婚した〔。 1974年から『NNNきょうの出来事』のメインキャスターとなり、独特の低音による「あ、さて」の名調子で知られた。同番組では、櫻井よしこと深夜の時間帯に落ち着いたニュースを伝え、地味ながらも次第に幅広い支持を受け、根強いファンを得るに至った。 1983年には徳光和夫と共に、日テレの『おもしろまじめ放送局』(おもしろ:徳光、まじめ:小林)キャンペーンキャラクターとして起用され、大ブレイクした。局アナでありながら『笑っていいとも!』(フジテレビ)の人気コーナー『テレフォンショッキング』にも徳光と共に出演した(楠田枝里子からの紹介)。 1985年にはイギリスのロック・ミュージシャン、ポール・ハードキャッスルのヒット曲「19(Nineteen)」の日本語リミックス版(Extended Japanese Mix)において「ベトナム戦争では…」という小林のナレーション音声がサンプリング音源として使用され、話題となった。 『NNN日曜夕刊』、『NNN昼のニュース』、『NNN JUST NEWS』のメインキャスターとしても活躍した。 アナウンサーとしての活動のかたわら、自分の体験談をもとに、いじめや非行などに悩む少年と親を対象とした講演活動を始める。夫人との間に一女、一男。長男はダウン症を持って生まれたが、わずか生後105日(約3ヶ月)で他界。その長男への思いを綴った手記『優しさをありがとう』、『愛、見つけた』を出版した。 1992年4月27日、自身60歳の誕生日の日にチーフアナウンサー職を最後に日テレを退職し、フリーとなる。ダウン症の長男を持った経験から医療への関心が高く、引き続き講演活動で全国を回ったほか、広島県立保健福祉短期大学客員教授も務めた〔。 1996年、講演中に脳出血で倒れるが、一命を取りとめる。テレビにも復帰し、テレビ朝日のワイドショー「ワイド!スクランブル」のコメンテーターなどを務めた。同番組には派手な柄のセーターやアロハシャツなどアナウンサー時代とは打って変わった衣装を纏って現れたり、ユーモアを交えたコメントを残すなど、よりフランクな一面も見せた。 1997年には、自動車の運転免許を取得。65歳で初の運転免許取得を経験。 2001年には、脳卒中(脳梗塞)で倒れ、リハビリ生活を送った。現在は回復し、その経験を各地で講演している〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「小林完吾」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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