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小林山秀昭 : ミニ英和和英辞書
小林山秀昭[やま]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [はやし]
 【名詞】 1. woods 2. forest 3. copse 4. thicket 
: [やま]
 【名詞】 1. (1) mountain 2. (2) pile 3. heap 4. (3) climax 5. critical point 

小林山秀昭 ( リダイレクト:両国梶之助 ) : ウィキペディア日本語版
両国梶之助[りょうごく かじのすけ]

両国 梶之助(りょうごく かじのすけ、1962年7月30日 - )は、長崎県長崎市出身の元大相撲力士。本名は小林 秀昭(こばやし ひであき)。出羽海部屋伝統の四股名である両國(兩國)梶之助を襲名した者は9人存在するが新字体の両国表記のみの者は当人だけである。学生相撲の経験を有する影響で、両国梶之助 (小林)とも表記される場合がある。現在は年寄・境川(13代)として境川部屋師匠を務めている。
== 来歴 ==

=== 長崎の怪童、日大相撲部へ ===
1962年7月30日長崎県長崎市溶接工を営む家に二男として生まれる。長崎市立茂木小学校長崎市立茂木中学校では柔道ソフトボールサッカーなど様々なスポーツで鳴らし、長崎県立諫早農業高等学校進学後は、高校の卒業生からの勧めで相撲を始めた。この時点で既に182cm・110kgに達していたが、巨躯に物を言わせるだけの取り口で、相撲に関する基本的な技術をほとんど知っていなかったために活躍できなかった。高校卒業時で135kgに達していたことから角界関係者からスカウトされるが、当時は大相撲の道へ進む意志がなく、日本大学へ進学して相撲部に所属した〔角界関係者からのスカウト以外にも日本大学の相撲部監督から熱心にスカウトされたこともあって、日本大学進学を決意したという。〕。
日本大学では主将を務め、個人戦より団体戦で力を発揮し〔小林は団体戦で活躍していたが、個人戦でも数回優勝の経験がある。〕、全国学生相撲選手権大会で準優勝に導く活躍を見せた。3年生での負傷から1年近くを棒に振ったが、4年生では腰の状態も回復して調子を取り戻したため、大学卒業後に角界入りする決意を固めた。小林の元には花籠部屋出羽海部屋からスカウトされたが、出羽海が同郷であることから出羽海部屋へ入門した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「両国梶之助」の詳細全文を読む




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