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小林 照子 (こばやし てるこ、1935年2月24日 - ) は、日本のメイクアップアーティスト・美容師・美容研究家。東京都練馬区出身。 美・ファイン研究所創業者 (株式会社美・ファイン研究所)・フロムハンドメイクアップアカデミー校長・青山ビューティ学院高等部校長・リバイタライズサロン クリーム運営・ JMAN (ジャパンメイクアップアーティストネットワーク) 理事長・エンゼルメメイク研究会副会長などを務める。 == 経歴 == *3歳ころ両親が離婚、再婚した父に引き取られる。 *1942年 実父と死別、同年に継母の兄夫婦の養女となる。戦争の激化により養母の故郷である山形県狩川町に疎開した。 *1951年 養母が死去。納骨のため上京し、自立を決意する。東京で保険のセールスをしながら夜間は美容学校へ通う。 *1957年 東京高等美容学院を卒業し、翌年小林コーセー (現KOSE〔1991年社名をコーセー (KOSE)に変更。〕) に美容指導員として就職した。約2年間出張や講演会で各地を回った後、本社教育課に配属される。 *1964年 長女・小林ひろ美を出産する。 *1965年 マーケティング部に新設された美容研究室に異動する。世田谷区下北沢に転居した際、自宅近くにアトリエを構え、若手の指導を始める。 *1970年 視察旅行で18日間アメリカに行った。 *1981年 メイクをアートとして表現する「からだ化粧」を始める。 *1983年 小林コーセーが開校したザ・ベストメイクアップ・スクールの初代校長に就任し、美容研究部長を兼任する。 *1985年 小林コーセーの取締役に就任したが同年に退社した。 *1986年 株式会社美・ファイン研究所(原宿)、 *1994年 フロムハンドメイクアップアカデミー(原宿)、 *1997年 リバイタライズサロン クリーム(原宿)、 *2010年 青山ビューティ学院高等部 東京校(原宿)、 *2012年 リバイタライズサロン 京都sion(京都) *2013年 青山ビューティ学院高等部 京都校(京都)を設立。 「小林照子の印象分析・表現システム 和=美」 (特許取得済) はITによって世界中の人々に利用されている。また、アジア全域でプロ養成の教育活動をくり広げており、JMAN(Japan Makeup Artist Network)、医・美・心研究会、エンゼルメイク研究会等のボランティア活動も積極的に行っている。 現在もメイクアップアーティストとして、また美容研究家として第一線で活躍する傍ら、後進の育成のため、美容に特化したカリキュラムで高校卒業資格がとれる高等部(青山ビューティ学院高等部)や、18歳以上を対象としたプロのメイクアップアーティストを育成するメイク専門スクール(フロムハンドメイクアップアカデミー)の校長としても教育に注力している。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「小林照子」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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