|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 林 : [はやし] 【名詞】 1. woods 2. forest 3. copse 4. thicket ・ 聖 : [ひじり, せい] 1. (pref) saint 2. st.
小林 誠二(こばやし せいじ、1958年1月22日 - )は、広島県比婆郡高野町(現:庄原市)出身の元プロ野球選手(投手)、野球解説者。解説者時代からコーチ就任後しばらくは小林 聖始(読みは同じ)と改名していた。 == 来歴・人物 == 生後4ヶ月の頃に父が死去。母は農協に勤務。高野中学校卒業後、広島市内の広島県立広島工業高等学校に進学。エースとしての第47回選抜高等学校野球大会に出場。熊野輝光のいた志度商を降し2回戦に進むが、福井商に完封負け〔「選抜高等学校野球大会60年史」毎日新聞社編 1989年〕。 ドラフト4位で地元広島東洋カープから指名を受け入団。プロ入り当初はチームでも1、2を争う速球派で同期入団の北別府学より先に一軍昇格したが、肩を痛めてサイドスローに転向、本来のピッチングが出来なくなり、に西武ライオンズに移籍。そこでパームボールを習得して頭角を現し、中継ぎ、抑えとして活躍。のパ・リーグ優勝を決めた試合では胴上げ投手となった。 、高橋俊春とのトレードで広島に復帰(当時の西武監督の広岡達朗によれば、野球協約に抵触するレンタル移籍であったとも言われている)。同年、抑えの切り札として活躍するとともに、最優秀防御率のタイトルを獲得した。チームのセ・リーグ優勝決定戦では、普段は抑え投手だがこの試合は先発投手を務め、プロ初完投勝利をあげて、胴上げ投手になった〔〕。また、日本シリーズ第1戦で勝利投手となり、史上初の両リーグでのシリーズ勝利投手も記録、広島の日本一に貢献した。しかし、パームボールを投げ続けたことで肘を故障し、に30歳で現役を引退した。 以後、広島テレビ(日本テレビ系)で野球解説者を務めていた(但し、山本浩二・池谷公二郎・野村謙二郎と異なり、広島が関与する試合以外の全国中継への出演はほとんどなかった。他には、1990年代初期に福岡放送制作で日本テレビにもネットされた福岡ダイエーホークス主催ゲームの深夜録画中継に若干出演した他、ズームイン!!朝!の「プロ野球イレコミ情報」に数多く登場)。また、広島県の夕方の人気番組である柏村武昭のテレビ宣言(現『テレビ派』)に毎週金曜日にコメンテーターとして出演していた。 より、中日ドラゴンズの二軍投手コーチを務めていたが、限りで落合博満監督の退任にともない退団した。 その後は広島市に生活拠点を戻し、2012年7月30日、広島市中区に、自らがオーナーを務める飲食店『べんがら亭 小町』を開業したが、2年後の2014年7月に閉店した。 その間、野球解説者としての活動を再開し、J SPORTS制作の広島主催ゲームや中国新聞社制作のケーブルテレビ向けウエスタン・リーグ中継などに出演した。 より、韓国プロ野球のハンファ・イーグルスの投手コーチを務める。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「小林誠二」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|