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小林 親真(こばやし ちかなお、寛政11年(1799年) - 安政6年2月26日(1859年3月30日))は江戸時代後期から幕末の越後長岡藩士。諱は親真。通称は又兵衛。号は誠斎、巌松。字は君実。家格は大組。長岡藩大参事の一人小林虎三郎の実父。本姓は赤堀氏。小林又兵衛で一般的には知られる。 == 経歴 == 寛政11年(1799年)出生。文政年中に登用されて以降、郡奉行や勘定頭、新潟町奉行などを勤める。 天保9年(1838年)の新潟町奉行就任時期に佐久間象山が新潟湊に北遊したことがきっかけで知り合い、佐久間の人物に感銘を受けたという。なお、『天保十年正月 貞享元子年より諸役人留』では天保7年(1836年)10月5日までの歴代新潟町代官の記載が見られるが、ここに小林又兵衛の名がないので新潟町奉行就任は天保7年以降の可能性が高い。 弘化4年(1847年)の武鑑において当時の藩主牧野忠雅の嗣子である牧野忠恭の附役に小林又兵衛の名が見える。また嘉永7年(1855年)の武鑑には小林又兵衛の名がない〔牧野忠雅#主要家臣参照。なお、嘉永7年武鑑で取次頭取である小林儀右衛門(小林藹の先祖)と又兵衛とは同姓だが関係はない。〕ために、隠居もしくは武鑑掲載の役職以外の職に就任した可能性が高い。安政6年(1859年)2月26日に死去。61歳。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「小林親真」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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